イベントシナリオ第2回リアクション
『温泉へ行こう!』
造船所近くの山裾に、魔法学校関係者と有志により、洞窟から湧き出る温泉を利用した露天風呂と温水プールが造られた。
更に休憩所に足湯、そして飲み物を提供するお店も設けられた。
今日は魔法学校休校日。
朝から露天風呂もプールも一般解放されていて、リック・ソリアーノとカヤナ・ケイリーの呼びかけに応え、沢山の人々が訪れていた。
第1章 湯の郷のまわりに
リュネ・モルは、フレン・ソリアーノが持ってきた背丈の低い草を、しげしげと見つめている。
「これは、レモングラスですか?」
「さあ、名前は知らん」
フレンは豪快に笑った。
「確かに、摘み取ってくるときに、レモンみたいな匂いがしたなあ。そういう名前のものかもしれない」
「いいですね」
リュネはうなずいて、葉の一枚をちぎると、手ですりつぶした。甘く酸っぱい香りが広がって、爽やかな気持ちになる。
「ベルティルデさんは」
その呼びかけに、ベルティルデ・バイエルはにっこりとほほ笑んで、かごいっぱいの花を差し出した。
「キンレンカと、パンジーです」
「これはまた、色鮮やかな」
リュネも笑い、バスケットの中を覗き込んだ。赤く燃えるようなキンレンカと、まだ小さなつぼみだが、そろそろ咲きそうな黄色のパンジーがある。
「キンレンカは、ちょうど咲きそろったばかりです」
「パンジーは?」
「あと2週間もすれば、満開になると思います」
「素晴らしい」
リュネの褒めことばに、ベルティルデはわずかに頬を染めた。
「キンレンカの花言葉は『困難に打ち勝つ』、黄色のパンジーの花言葉は『つつましい幸せ』なんです」
「いい花を選んだな」
フレンも笑って、バスケットを見た。
「2種類の花に、花言葉を添えるとは」
「少しでも、皆さまの慰みになればと」
ベルティルデのことばに、リュネとフレンは揃って同意した。
「さあ、花壇を作ろうか」
フレンはそう言うと、荷車からレンガを下ろし始めた。
「ほら、リュネも」
「あ、は、はい!」
リュネはフレンに渡されるまま、スコップを手に取る。
「ベルは、この花壇の構図を考えてくれ。こういうのは、女のほうがセンスがあるってものさ」
「男爵様のいう通りかもしれませんね」
リュネは、地面にスコップを突き立てた。
「この、休憩所入口の一角でいいでしょうかね」
「え、ええ、いいんじゃないでしょうか?」
突然の大役指名に、ベルティルデは驚いたようだった。だが、にこりとほほ笑んで、「この辺りなら、みなさんが見てくださいますから」と答えた。
「それじゃ、作業開始ということで」
フレンも同じく、土にスコップをめり込ませた。
若くはないとは言え、大の大人が2人がかりである。彼らが開墾を始めれば、30分もしないうちに、小さな畑が出来上がった。
「いい感じですね」
リュネが言うと、「そうだな」と、フレンが返す。
「あとは小石を取り除いて、周りにレンガで埋めて」
ベルティルデが、指をさす。
「そっち側にキンレンカ、あっち側にパンジーを植えましょう? それで、レモングラスは、そのあいだに」
「わかりました」
リュネは、そう答えて、上体を起こした。瞬間、彼の腰に鋭く刺すような痛みが走った。
「いでっ……」
彼は腰に手を当て、「うぅ」と唸る。
「大丈夫か?」
「いえいえ……もともと腰が少し悪いもので……お恥ずかしい」
リュネはよたよたと、半ば這うような動きで花壇から離れる。
「大丈夫だ」
フレンは笑った。
「船大工にも、よく腰を悪くするやつがいるんだ。湯治でもしてきたらいい」
「しかし、花壇が……」
「あとはちょっとレンガを置いて、花を植えていくだけだ。一番大変なところは、終わったよ」
フレンのことばに、リュネは頭を下げる。
「いやはや、本当にお恥ずかしい」
「そんなこと言ったら、わたくしはまだ何もしてないじゃないですか」
ベルティルデは、いたずらっぽくむくれた。
「リュネさん、先にお風呂に行って下さいな。上がってくる頃には、すっかり完成させてみせますから」
「……ありがとうございます」
リュネはもう一度、深く頭を下げる。そして、「それでは、おことばに甘えて」と言うと、花壇づくりの道具とは別に持ってきていた風呂道具を抱えて、そろそろと露天風呂に足を向けた。
夕刻。温水プールでは、数人のものが思い思いに泳いでいる。
「っはぁっ!」
メリッサ・ガードナーは水から頭を上げ、耳に入った水を振るい落とそうと、首を左右に振った。
「どう?」
彼女の視線の先には、レイザ・インダーがいる。彼はプールサイドでイスに腰かけていた。
「どう、と言われても」
レイザは困惑して、笑う。
「うまいんじゃないか?」
「ありがとう」
メリッサが、「背泳ぎもできるけど」と告げると、レイザは一層困惑して、「ちょっと待って」と言った。
「俺は、何を見せられているんだ?」
レイザの素朴な疑問に、メリッサは、「んー」と口をもごもごさせた。
「実はね?」
彼女は首をかしげて、レイザをじっと見つめる。
「なんだ」
「私、泳ぐのが得意でしょ?」
「そう、だな」
「魔法学校の男の子にも、泳ぎって教えないの?」
メリッサのことばに、レイザは首を横に振った。
「いいや、今のところ、その予定があるとは聞いていない」
「私のこと正式に、水泳の講師として雇わない?」
レイザは、がくりと肩を落とした。
「そういうことか」
「ほら、私、子どもの相手も得意だし」
「悪いが」
メリッサのことばを遮るように、レイザが声をあげる。
「俺には、新しく誰かを雇うだとか、そんな権限はない」
「そこをなんとか!」
「売り込むなら、俺じゃなくて、校長にしろよ。ほら、お得意の誘惑でさ」
レイザは、にやっ、と笑って言った。
「とぉりゃぁぁぁっ!!」
誰かの大きな掛け声と共に、プールに大きな水しぶきが立った。メリッサは「きゃっ!?」と甲高い悲鳴を上げて、波に飲まれる。水紋の中心からは、ヴォルク・ガムザトハノフが現れた。
「はっはっは! 参ったか!」
「ヴォルク……あなたね……」
売り込みの失敗もあって、メリッサはわずかにこめかみをひくつかせている。
「メリッサよ……まさかとは思うが、怒っているのか?」
わずかに溢れた殺気に、ヴォルクはたじろいだ。メリッサは「……気のせいじゃない?」と答えて、平静を装う。
「それなら良いのだ」
ヴォルクはニヤリと笑って、水中に身を隠す。
「あっ、え?」
メリッサが驚いたのもつかの間、ヴォルクは彼女の足を引っ張って、水中へと引きずり込む。
「ごぼばぼっ!?」
泳ぎがどれほど得意とはいえ、いきなり水に沈められたら、ひとたまりもない。彼女は息を止め、肺に水が入らないようじっとこらえた。
「かっはっはっはぁっ!」
ヴォルクは得意になって、メリッサに後ろから抱き着き、水面へと引き上げる。
「メリッサよ!」
「げほっ……なっ、なによっ!」
「なんだ、この豊かなバストは!」
ヴォルクは、下から持ち上げるような形で、メリッサの胸を触った。
「いやーん……ってバカ!」
メリッサは笑いながら、ヴォルクの手を振りほどく。
「ぬっ……さすがメリッサ……我の拘束を抜け出すとは」
「そっちがその気なら……!」
メリッサは、ヴォルクの頭に手刀を振り下ろす。ヴォルクは間一髪、それを避ける。
「そうだ、それでこそ我が姉!」
「そうだ、じゃないっ! こらっ、待ちなさいっ!」
メリッサは、ヴォルクの仕掛けたプロレス・トラップに見事にかかり、彼の意のままに遊び始めた。
いい迷惑なのが、浅瀬で泳ぎの練習をしていた者たちだった。
「ちょっとぉ……」
エリザベート・シュタインベルクは水面から顔だけ出して、恨めしそうに2人を見つめた。彼女は、決して泳ぎが得意ではない。だが、それをそのままにしておくのは、決していいことではないと思っていたのだ。プールの中でも、比較的浅く作られた場所にも、2人のプロレスごっこの波紋は及んでいた。
「きゃぁっ……」
恨めしそうな顔をしていると、さらに波がもう一段来て、エリザベートの顔にかかる。
「大丈夫?」
オーマ・ペテテは、その様子を見てニヤニヤした。
「だっ、大丈夫に決まっていますわ!」
エリザベートは声を荒げた。
「あなたこそ、この前はずいぶんひどい目に遭っていたじゃありませんこと?」
「まあ」
オーマは肩をすくめて「そうだね」と答える。
「でもほら」
彼は顔を水につける。それから少し、もがくように両手をぶるんぶるんと振り回して、顔を上げた。
「っはぁっ……ね?」
「何が、『ね?』なんです?」
エリザベートは首を傾げた。
「ほら、顔を水につけることは、できる」
「わ、私だって、泳げないわけではないんでしてよ!?」
「へえ?」
泳げない2人による、どっちつかずの争い。
「じゃあ、泳いでみようか?」
「いっ、いいですわよ……」
売り言葉に、買い言葉。2人の表情が、どんどん強張っていく。
「競争ですわね」
「そうだね……それじゃ、いい?」
「とくと御覧なさい! 私が美しく水中を舞う姿を!」
後には退けない。どのみち、いずれは泳げるようになりたいのだ。手荒くやるにはちょうどいい。そんな思いが、2人の間にはあったのかもしれない。問題は、その方法の荒さが、トップクラスだったということ。
「じゃあ、行くよ……よーい……」
どんっ、とオーマが言うと、2人はそれぞれに、プールの壁を蹴り、水の上へと体を投げ出した。
(大丈夫ですわ……いざとなったら足がつきますもの……大丈夫……私ならできますわ……)
(問題ない……この前はちょっと動揺しただけだ……水は怖くない……溺れない……まっすぐ泳いでいける……)
2人の泳ぎはたどたどしく、今にもそのまま沈んで行ってしまいそうなものである。息継ぎのために、水上へと顔を出す仕草も、水泳選手のするような華麗なものではない。端から見れば、溺れているとも捉えられかねない。それでも2人は懸命に泳いだ。腕を前に出し、自身の前にある水の塊を、自分の後ろへ。脚は、見よう見まねでばたつかせてみる。ちょっとずつ、ちょっとずつ、前へと進んでいる。
「……っはぁっ……!!」
先に限界が来たのは、オーマのほうだった。
「って、あれー……」
後ろを振り返ると、ずいぶん泳いだと思ったのに、蹴りだしたプールの壁から、まだ10メートルも来ていなかった。彼はがくりと肩を落とした。
「あれ、エリザベートは……」
当然、自分の後ろにいるだろうと思っていたエリザベートは、しかし、彼よりも少し先を行っていた。
「あ、おい!」
エリザベートが泳いでいるエリアは、すでに彼女の身長以上の水深がある。まずい、それではこの前の二の舞になる……!
「戻ってこい! きみの身長じゃ、そこは足が付かないぞ!」
「なっ! 失礼なことを言わないでくださっ……ごぼばぼばぼぼぼっ!?」
(不得意な割には)順調に泳いでいたはずのエリザベートも、「低身長」のことばには勝てなかった。
「か、身体が沈んで…た、助けっ…!」
彼女は反論しようとした隙に、再び溺れかけてしまった……。2人がうまく泳げるようになるには、まだそれなりに時間が必要そうである。
「む」
ミリュウは、休憩所の傍らで涼んでいるフレンを見つけた。
「ずいぶんと肌が赤くなっているな」
「なんだ、ミリュウ」
フレンはほほ笑んで、ミリュウを見た。
「のぼせていないか?」
「違うと思うぞ」
ミリュウはじわじわとフレンに近づいていく。
「本当にそうだろうか?」
「多分な。長湯したから、その分肌が赤くなっているだけだ」
「そういうのも、のぼせの一症状だ。何より、医に心得のない者の自己診断というものは、非常に危険である」
「確かにそうかもしれんがねえ」
フレンは肩をすくめた。
「だが、具合が悪いわけでもない」
「貴族であるとはいえ、フレン、貴様もあくまで凡人……医の天才である、この我と比べたらな」
「そうかい」
フレンはニヤりとして、「好きにしな」とつぶやいた。
「よかろう、治療してやる」
ミリュウはそう言うと、フレンにうつ伏せに寝るように指示をした。
「こうか?」
「それで良い」
ミリュウはフレンの頸動脈に手を当てて、脈を測る。
「うむ、やはり、やや早いな」
「そりゃあ、君に治療されるのが待ち遠しくて、緊張してるんだよ」
「待ち遠しく思う場合は、緊張ではなく、興奮というのが正しいのではないか?」
「じゃあ訂正する。何されるか分かんないから、緊張してる」
フレンが笑うと、ミリュウは極めてまじめに「安心しろ、すぐに治してやる」と言った。
「あの世に送る、じゃなくて?」
フレンが鼻で笑うのと同時に、ミリュウは「たぁッ!」と気合の入った声を出した。瞬間、フレンは全身の筋肉が一瞬緊張して、すぐにまた弛緩したのを感じた。
「どうだ?」
「……分からん」
フレンは首を傾げた。
「分からんが、確かに体が軽いような気はするな」
「そうだろう?」
ミリュウは得意げに笑う。
「天才の我にかかれば、のぼせなどの軽い症状は一瞬だ。もっとも、治療したのはこれが初めてだがな」
「……まったく、恐ろしい自信だ」
フレンは皮肉っぽく笑った。
マティアス・ リングホルムは「お取込み中のところ、すまない」と、2人の間に割って入った。
「フレンさん」
「ん、どうした?」
フレンは起き上がり、また壁にもたれかかって座った。ミリュウの治療(?)のおかげなのか、彼の体の赤みはひいて、うっすらと明るい肌色が戻ってきていた。
「実は、折り入って相談があるんだ」
「相談? 珍しいな、真面目な顔しちゃって」
「俺はいつだって大マジだ」
マティアスはじぃっとフレンを見た。フレンはその表情を見て、真剣な相談事なのだろうと、今度は茶化すこともなく、彼の瞳を見つめ返した。
「俺は、炎を操ることができる。ただし、気分によってムラのある、厄介な奴だ」
「ほう」
「船を造る手伝いがしたいと、ずっと思っていたんだ。でも、間違って船を燃やしてしまうんじゃねえかと思って、造船所には近付けなかった」
「なるほどな」
フレンはうなずきながら、その話を聞く。
「魔法が暴発しないようになれば、俺も、造船所で、何か手伝うことができるんじゃないかって……」
「そうだなあ」
フレンは目を閉じ、深く息を吐いた。
「船が燃えるのは、困るな」
彼は口元に笑みをたたえたが、マティアスから何の返事もないことが分かって、ことばを続ける。
「ま、今度見学にでも来てみるといいさ」
「良いのか?」
「ああ」
マティアスの嬉しそうな声色に、フレンの口元が、さっきとは違う形で緩んだ。
「ただし」
フレンは目を開き、笑みを浮かべるマティアスをじっと見た。
「船大工たちは、血の気が多いからな。あいつらと、ケンカしない自信は?」
マティアスの顔から、笑みが立ち消えた。そして彼は、「考えておく」とだけ、答えた。
「貴様の怒りを抑えるツボを刺激してやることもできるが?」
ずっと黙って話を聞いていたミリュウが、マティアスにぼつりとつぶやいた。
「それも、考えとく」
マティアスは、それまでよりもずっと暗い声で、そう返した。
「バート隊長」
ナイト・ゲイルは、硬い表情で、背筋をぴんと伸ばしている。
「なに?」
対するバート・カスタルは、彼よりもずっとリラックスして、机に体を預けている。
「温水プール、露天風呂、共に異常ありません」
「ご苦労……」
バートはため息をついて、「あのさ」と言った。
「なんでしょうか」
「……普段の口調で、いいよ」
「……よろしいのですか」
「きみが『休養は重要』って言って誘ったんだろ?」
バートは、じっとナイトの顔を見た。
「敬語だと、疲れるだろ?」
「……では、おことばに甘えて」
ナイトは、「っかはぁー」と、深く息を吐いた。
「うん、これならずいぶん楽だ」
バートは微笑んで、彼を見た。
「強引に誘ってきた割には、お前がリラックス出来てないじゃないか」
「いや、おかげで肩の力が抜けた」
ナイトはそれに応えるように、微笑み返した。
「ところで、レイザ先生はどこだ? せっかくだから、少し話もしてみたかったんだが」
「レイザなら、さっき温水プールのほうへ行って……お、戻ってきた」
バートは頬杖をついて、脱衣所のほうを見た。そこには、うっすら額に汗をにじませた、レイザの姿があった。
「何してたんだよ」
ナイトはレイザを見て、不思議そうに言った。
「着替えは?」
「プールには、入っていない」
「は? じゃあ、何しに行ってたんだよ」
「ん?」
レイザはニヤっと頬を緩ませて、「女の水着姿が、俺を呼んでいたからな」と答えた。
「……バート隊長、不審者が現れたようですが」
「そのようだな。治安維持のために排除しておくか」
「冗談だよ、冗談」
レイザはナイトの肩を、ぽんぽん、と軽く叩いた。
「笑えない冗談だな」
ナイトは、じっとレイザを見た。
「お前だって、自分にどんな噂があるのか、知っているだろう?」
「だから冗談になるんじゃないか。『覗き魔』なんて言われてなきゃ、本物の変質者になっちまう」
「確かに、そうかもな」
ナイトのことばに、バートは「まあ、逮捕まではする必要ないか?」と笑った。
「当たり前だろ……。……ところで2人とも、喉、乾いてないか?」
レイザのことばに、「そうだな」とナイトはうなずいた。
「向こうに出店もあるみたいだ。何か買いに行かないか?」
「ああ、いいな。少し腹も減った」
ナイトがそう言うと、「俺も行く」とバートも立ち上がった。
ピア・グレイアムは大きく背伸びをして「んーっ」と声を上げた。彼女がベーカリー・サニーから持ち込んだ「一口カットパン」は、ほどほどの売れ行きであった。売り始めてからまだ3時間も経っていないが、ほとんどが売り切れて、あと数袋を残すのみとなっている。
「カヤナさん、ちょっと休憩いただきますね」
彼女はそう言って、カヤナを見た。
「よく働いてくれて、ありがとう」
カヤナはピアの売り子仕事を、非常に評価していた。カヤナ1人ではさばき切れなかっただろうお客も、2倍速以上で処理されている。売り上げも上々だ。
「ちょっとしたら戻ってきますから」
ピアはそう言って、頭を下げると、出店から目と鼻の先にある足湯へと向かった。
足湯には先客が何人かいる。ピアは靴と靴下を脱いで、「ちょっとごめんなさいね」と言うと、体を割り込ませる。そして、一段下がった浅い湯船に、自分の足を浸した。
「んーっ……気持ちいい……」
彼女は思わずそう唸った。立ちっぱなしで乳酸の溜まった足に、人肌よりも少し暖かいくらいの足湯は、この上なく気持ちいい。ピアは天を仰いで、「カヤナさん」と声を上げた。
「こっちに来たらどうです?」
ピアはそう声を投げたが、カヤナの店を見ると、男3人が彼女と談笑しているのが見えた。
「これじゃ、私も長くは休憩できそうにないですね」
ピアはそう独り言ちたが、足湯の魔力にはまったく勝てそうにもなく、温かいお湯を蹴り上げて肩をすくめた。
ピアの動作に、胸を高鳴らせている者がいた。ノイマン・ヘントだ。ピアが脚を運ぶと、思わず彼の目も、それにつられて横へと滑る。
「ノイマンさん?」
それまで雑談を一緒にしていたはずのトモシ・ファーロが、ノイマンの顔を覗き込んだ。
「なっ、なんだい?」
「なんですか、じゃないですよ。水の魔法の話」
「あ、ああ……ごめんね、つい……」
「つい?」
「ああ、いや、なんでも……」
つい、なんなのか。それはノイマンだけの秘密である。ノイマンの眼は、トモシの顔と、向かいに座ったピアとを、行ったり来たりする。
「それで、なんだっけ?」
「ですから」
トモシは鼻息も荒く言う。
「水の魔法で、氷は作れるのかな、と」
「んー……どうだろうね」
ノイマンは首を傾げた。
「そもそも、僕は水の魔術は使えないから……」
彼はそう口にして、ふと、はるか昔になくなった友人を思い出した。彼は、水の魔法が得意だったから。ノイマンの目に飛び込んでくる、ピアの素足。彼は友人に悪いことをしているような気がして、思わずそこから目をそらした。
「ごめんなさい、ちょっと失礼するよ」
ノイマンは立ち上がり、軽くタオルで足を拭く。
「どこへ?」
「のぼせたかもしれない、ちょっと温かい飲み物でも買ってくるよ」
「足湯でのぼせ? 聞いたことない」
トモシは思わず噴き出した。
「変なノイマンさん」
トモシの声に、ノイマンは肩をすくめた。
カヤナの店には、数人の列ができている。ノイマンは、その一番後ろに並ぶ。涼やかな風が駆け抜ける。さっきまでのドキドキを、一気に風が吹き飛ばしてくれるようだった。
「カヤナさん、飲み物1つ、くださいなっ!」
元気よくそう声をあげたのは、リエル・オルトであった。
「何がいい?」
「えーっと、オススメをひとつ!」
「はい、じゃあ、特製ジンジャーエール」
カヤナは薄く黄金に輝く液体を、コップに注いで手渡した。
「ショウガがたっぷり入っているからね。体が温まって、おいしいよ。それに、脚があったかくっても、体が冷えちゃいけないからね」
「ありがとう! わあ……すごくいい匂い……」
ショウガの刺激的な香りが、彼女の鼻をくすぐる。
「そういえば、カヤナさんは、足湯に入らなくていいの?」
「私?」
「そうそう」
リエルは首を縦に振る。
「お店番、大変だったら代わるけど?」
「いいのいいの。今はちょっと、向こうの足湯で休んでるけど、ピアちゃんが手伝ってくれているし」
「立ち仕事ばっかりじゃ、大変でしょ?」
「慣れたものよ」
カヤナはほほ笑んだ。
「お気遣いありがとう。でも、私はほら、大丈夫だから。リエルちゃんも、足湯、楽しんできてね」
「そっか……うん、ありがとう!」
リエルはうなずいて、足湯へと向かった。
「つまり、水の魔法で氷は作れるんですね?」
「そうだね、できるよ」
足湯会場では、トモシの疑問が解決されていた。答えていたのは、ハビ・サンブラノであった。
「水を氷に変えたり、気体にすることはできる。まあ、とても優れた魔術師なら、だけどね……」
ハビは目をつぶった。
「そういうことができる魔術師は、そう多くはないよ」
「そうなんですか……」
トモシは「うーん」とうなる。
「どうかしたの?」
「ああ、いえ……」
トモシはうつむいて、「もし氷が作れるなら、箱船で野菜を運んでいくときに、長い時間保存することもできるかなぁ、って思いまして」と答えた。
「なるほど……」
ハビはその答えに納得し、微笑む。
「それは、良いアイディアだね」
「ありがとうございます!」
「なんだか、いい話だなあ……」
リエルは足湯に両足を入れて、買ってきたばかりのジンジャーエールを飲む。
「んあぁっ、おいしい!」
足先は温かく、のどごしは冷たい。彼女は、「たまらない」と言った声色でそう言うと、もう1度、それを口に含んだ。
「カヤナさんのジンジャーエール、本当にいい出来なんですよね」
対岸から、ピアが声を投げる。
「本当に、すごくおいしい」
リエルの表情には、まるで嘘がない。幸せそうな表情だ。
「それで、こうやって……」
リエルは優しい手つきで、自分のふくらはぎをマッサージし始めた。
「んー……気持ちいい……」
リエルの表情を見ていたトモシは、ふと思い出したように「そうだ」と言った。
「足の裏には、いくつも『ツボ』というものがあって、押すと健康にいいらしいんですよ」
彼は、ほら、と言って、右膝の上に左の足首を乗せ、「こうやって」とつぶやきながら、ぐっと親指の腹で足の裏を押した。
「いててっ……?」
「ツボ、っていうくらいだから、やっぱり痛いのかな」
ハビは笑って、トモシの顔を見た。
「ただいま」
ノイマンが、ホットココアを持って帰ってきた。
「カヤナさんは、働き者だね。『足湯に入らない?』って聞いたら、『売るものがなくなったらね』だって」
ふふ、と笑うと、誰彼となく、「カヤナさんらしい」という相槌が返ってきた。ノイマンは再びお湯の中に足を入れると、「はあ」と安堵のため息を吐いた。
「そういえば、さっきの話、どうなったの?」
「ああ、氷の話ですか? それがですね……」
足湯では、談笑がまだまだ続きそうだ。
この時間、男湯には、1人の影だけがあった。
「ふぅ……」
中性的な容姿であるが故に、ファルは、「誰もいないタイミングを見計らう」ということに、多少なりとも気を遣ったのかもしれなかった。
しかし、腰より上を湯から出しているその姿を見るに、しなやかな筋肉で構成された胸部は、やはり男性のそれであるようにも思われる。
半透明に濁った湯の中に、薄ぼんやりと赤褐色のシルエットが浮かび上がる。目を閉じ、額にうっすらと汗をにじませている。ほんのり上気した頬が緩み、また小さく「ふぅ」と声が漏れた。
天然に湧き上がる温泉は、少なからず大地の力をはらんでいる。その魔力に、ファルはあてられているらしかった。ファルの体にとうとうと流れ込んでくる熱量が、彼の体の内側を侵していく。
彼はその感覚に身をゆだね、つぷり、と肩まで体を沈めていく。気持ちがいい。体の中を、エネルギーが出入りする。自分の中から悪い気が抜けて、代わりに、自然の力を手に入れられたような……。
「はぁっ……」
ファルは、ざばんと立ち上がって、体にまとわりつく露を払った。少し長めに浸かり過ぎたかもしれない。火照った体を冷ますべく、彼は体を清めるための冷水を浴びた。
「んっ……」
急激な温度の変化に、心臓がどくりと脈打つのがわかる。鼓動が早くなって、それから、徐々に落ち着きを取り戻した。
そのとき、ガラリと音がした。
「お、一番風呂? んなわけないか」
コタロウ・サンフィールドが浴室の扉を開けたのだ。
「っ……!!」
もともと赤みの刺した顔を、一層真っ赤にして、ファルは声にならない悲鳴を上げ、逃げるように脱衣所へと帰っていった。
「あれ? ファル? ……行っちゃった」
コタロウは、「なんだ」とため息をつく。
「せっかくなら、話してみたかったのに」
「俺がいるじゃん」
ロスティン・マイカンは、はは、と小さく笑った。
「そうだけどさ、話し相手が1人でなくちゃいけない、ってこともないだろ?」
「話し相手?」
ロスティンは肩をすくめて、声を潜めた。
「覗きの共謀相手じゃなくて?」
「反対だなあ」
コタロウはじぃっとロスティンを見た。ロスティンは視線を反らし、体にざばりと湯をかける。
「なんで」
「道徳に反する」
「道徳で欲望が満たされるのか?」
「道徳は道具でも手段でもないよ……」
コタロウは湯船に片足をつけて、「くぅっ」とうなった。
「きみも、この湯に浸かってみたらいい。きっとこころが洗われて、そんな不埒な真似はできなくなる」
「どうかね?」
ロスティンは笑って、同じように湯に足を踏み入れた。
「んー、なかなか。芯まであったまりそうだ……」
彼も思わずそう、うなり声をあげる。
「いやあ」
コタロウは自分の腕を見、その湯の柔らかさに感嘆する。
「疲れも吹き飛ぶね、こんないい温泉」
「確かになあ」
ロスティンは湯船の縁石の1つに頭を預け、天を仰いだ。
「このまま、ここに住んじまおうかなあ」
「やめときなよ、ふやけるよ」
コタロウは笑って、彼と同じ姿勢をとる。
「冗談だよ、冗談。でも、こうして、だらーん、としているとさあ」
ロスティンが深く息を吐いた。
「ホント、ぜーんぶ、どーでも良くなるよなあ」
「そう?」
コタロウは、ハリのある声で返す。
「かえってやる気出るけどな。こうやって、ここで疲れを癒して、明日も箱船作りを頑張ろう、ってな感じで」
「ま、それも人それぞれ、ってことかねえ」
「そうかもね」
コタロウが言うと、ひゅうと、流れ星のようなものが一つ、空を駆け抜けていった。
「あ、え? 流れ星?」
コタロウの驚きに、ロスティンは目をつぶって、冷たく返す。
「ここで流れ星なんて、見えるわけないだろ。ドームの外側の、石か何かに違いない」
「……本物の流れ星も、いつかこうやって、露天風呂から見られたら、いいよね」
「……ああ、そうだな……」
ロスティンは、何かを思い出したかのように、勢いよく湯から立ち上がった。
「やめやめ! 辛気臭ぇのはカンベンだ」
彼はタオルを手に取ると、岩壁に向かって駆け出した。
「え、ロスティン?」
コタロウは驚いて、彼の後姿を見た。
「俺は俺らしく!」
彼が向かう先は……。
「そっちは、その、女湯……」
「そこに岩壁があるッ! それ以上に、それを踏破する理由はないッ!」
「いや、違うだろ! きみの目的はっ……!」
ロスティンは、驚くべき速度で、するすると岩壁を登っていく。もちろん、岩壁を「間違って」登ってしまわないようには工夫されているが、「意図的に」登ろうとする人間のことまでは、対策し切れていない。
「見えたぞ……桃源郷っ……! 俺に見初められたい女性はっ……」
そこまで行ったところで、どぼんと言う盛大な音と、水しぶきを上げて、彼は男湯へと墜落した。
話は、少し時間をさかのぼる。
「きーもちいぃーっ!」
トゥーニャ・ルムナは、ぐっと体を伸ばして、天を仰いだ。
「本当に、極楽とは、このことでござるな」
サクラ・アマツキも、頭に手拭いを乗せて、うんうん、と首を縦に振った。
「こんなにいい温泉があるなら、何度でも来たいものですね」
ステラ・ティフォーネが、少し汗ばんだ額を拭いながら言った。
「ええ、ホントに……」
エリス・アップルトンも「いいお湯です」と同意する。
「これでもっと、街に近ければなー」
アウロラ・メルクリアスが言うと、一同はめいめいにうなずく。
「ただ……」
エリスは頬を赤らめる。
「皆さんに裸を見られるというのは、少し……その……」
「恥ずかしい?」
アウロラの問いに、エリスはこくりと首をうなずけた。
「皆さん、その……どうなんでしょう? 恥ずかしく、ないんですか?」
「それは、温泉ですからね。シャワーを浴びる時だって、お洋服は脱ぎますでしょう?」
「そうですが、その……」
ステラの答えに、エリスは口をもごもごとさせる。
「まあ、知らない人に、裸を見られるというのが気になる、という気持ちも、わからないでもないでござるが」
サクラは、むう、とこぼした。トゥーニャは、あはは、と軽く笑う。
「慣れだよ、慣れ。きみも、ぼくたちの裸を、あんまりじろじろ見たりしないでしょ?」
「それは……はい……」
「みんな、きみの体をそこまでじぃーっと、見ないって」
「……なるほど……」
トゥーニャのことばに、エリスは「そうなのですね」と答えた。
「そうそう。だから、温泉では、お湯に浸かってのんびりまったり、それを楽しむのが、一番!」
「そう言いながら、トゥーニャさんは、お酒を持ち込んでいるのですね」
ステラは、ふふふ、と笑った。
「お酒はいいよぉ? 温泉といえばお酒。ね?」
トゥーニャは、すでに酔いが回りだしているらしく、ずいぶんと上機嫌だった。
「本当はキリッと辛いお酒なんていうのもいんだけどさぁ、山ぶどうのワインしか、家になくて。でも、これがまた美味しいんだぁ」
えへへ、と頬を赤らめて、彼女はまた1杯、グラスを空にする。
「飲み過ぎは、からだに毒だよ?」
「大丈夫大丈夫、これくらいなら、全然平気ぃ」
アウロラのことばをふわりとかわして、彼女はもう1度グラスを濃い紫の液体で満たしていく。
「お酒っていうのは、そんなに美味しいものなのでしょうか?」
エリスが首を傾げる。
「どうでござろうなあ」
サクラは苦笑いをした。
「みな、まだ酒の飲める歳ではないからのう」
トゥーニャ以外の全員が、お互いの顔を見合わせた。それから、またトゥーニャを見る。
「トゥーニャさんって、若く見られません?」
「若くっていうか、幼く?」
ステラの問いに、トゥーニャは笑う。
「いやあ、栄養不足かなあ?」
「お酒じゃ、栄養は補えないよ」
アウロラが刺すように言うと、「これは食事じゃなくて、趣味だからぁ」と彼女は返した。
トゥーニャは、ふと、アウロラの脚を見て、それからすぐそこの岩場に立てかけられている義足を見た。
「アウロラさんは、その」
「ん」
「脚は……」
「ああ、これ?」
アウロラは、自分の脚の終端をさする。
「洪水のときに、ね」
「大変でござるな」
サクラはアウロラをねぎらうように言ったが、彼女は、意にも介さないといった風に、返事をする。
「まあ、大変なこともあるけど、慣れたら別にね。それに、受け入れていかないと、仕方ないから」
アウロラは微笑んで、「義足でも、結構ちゃんと仕事はできるし」と続けた。
「……ごめんなさい、変なことを聞いてしまって」
トゥーニャが申し訳なさそうに、頭を下げる。
「気にしないで。いいのいいの」
アウロラはそう言って、手を軽く振った。
「しかし……」
サクラが首を傾げる。
「面妖でござるなあ」
「面妖? 何がです?」
ステラが首を傾げた。
「同じ人間であろうに、なぜこうも、体のラインが違うのだ?」
「……」
思わずサクラのことばに、全員が、自分の体を見た。
「まあ、胸は、あっても邪魔なことも多いし……」
「きみ!」
アウロラのことばに反駁したのは、トゥーニャだった。
「おっぱいに対して、なんて無礼なことを!」
語気は強いが、顔は笑っている。発育不足をイジられるのも、もはや手慣れたもの、ということか。アウロラは、自分の胸を両手で抑えながら、しょげたような声を出した。
「私は、胸よりもうちょっと身長が欲しかったかなあ」
「胸も身長もっ……」
トゥーニャは何かを言おうとして、ぐっとそれをワインで流し込んだ。
「あの……」
エリスが小さく手を挙げた。
「胸が大きいと、その……いいことが、あるんですか?」
「いいこと……で、ござるか……?」
無垢すぎる質問に、思わずサクラは吹き出した。
「まあ、胸が大きいければいい、ということはないと思いますよ。自分で、自分のことが気に入っていれば、それでいいと思うのです」
ステラは湯に体をどんどん沈めていく。
「私は、この体形、結構気に入っていますわ」
それから、恥ずかしそうに、小さく言った。
「自慢の体形を、ぜひとも拝みたいものでござるな?」
サクラがにやにやして言うと、ステラは「もう」と恥ずかしがった。
「確かに、豊かな胸も魅力的だけど、何事も、バランスが大事」
トゥーニャは、湯の中で腰に手を当てた。エリスはトゥーニャの顔を、じっと見ている。
「第一、女の子の魅力は、体形ですべて決まるわけじゃないもの」
「そうでござるな」
サクラは、自分のからだの曲線をなぞった。
「拙者も、もっと『めりはりぼでぃ』であれば、等と思うこともあるが……それは、それ。そうでなくとも、拙者は拙者でござる」
「うーん……」
エリスは困惑して、首をまた傾げた。
「よく分からないけど、分かったような気がする」
「大人の女性って、いろいろ難しいのね……」
アウロラはため息がちに、そう言った。
そのときだった。
「見えたぞ……桃源郷っ……!」
「えっ、きゃっ……!!」
ステラは、思わず悲鳴をあげた。岩壁の向こう側から、ロスティンが顔を出していたのだ。
「俺に見初められたい女性はっ……」
ステラは手近にあった手桶を、思い切り彼の顔面に向けて投げつける。続いて、アウロラが彼女の義足を投げつけた。ここでは、まだロスティンは耐えていた。痛さよりも、覗き続けたい欲求が勝っていたのだろう。悲劇は、ここからだった。
サクラは湯から飛び出す。
「女湯を覗く不届きな輩は、成敗するでござるッ!」
そう言うと、一糸まとわぬ姿のまま、気を集中し、風の魔法、カマイタチを彼に向かって放つ。
「あはは! たーまやー!」
そこに追い打ちをかけるように、トゥーニャが圧縮した風の塊を直撃させる。ロスティンとは言え、魔法による攻撃を2つも、ノーガードで直撃させられては、我慢できない。吹き飛ばされて、彼は男湯へと墜落していく。
「きゃっ……きゃぁぁぁっ……!?」
すべての事態が集結して、ようやく堰を切ったように、エリスが悲鳴を上げた。彼女の声は、どこかの山に反射して、マテオ・テーペ中にこだました。
そんな騒動が落ち着いた頃。
温水プールで水中トレーニングを終えたリベル・オウスは、体を休めるために休憩所に入ったところで珍しい人物を見かけた。
ベルティルデ・バイエル。
いつもルース姫と共に行動し、水の神殿と領主の館を往復する以外にほとんど人前に姿を見せない侍女だ。
それが一人でここにいて、カヤナとおしゃべりしている。
せっかくだから挨拶でも──と、リベルはベルティルデがいるテーブルへと歩み寄った。
「よう、今いいか?」
声をかけると、ベルティルデとカヤナが顔を向けてきた。
カヤナは、ごゆっくりと会釈して仕事に戻っていく。
ベルティルデは席を立つと、
「こんにちは」
と、穏やかな微笑みを見せた。
「一人なんて珍しいな。……おっと、悪ぃ。俺はリベル・オウス。薬師の真似事なんてのをやってる」
「薬師さんですか」
ベルティルデは感心の声をもらした。
それから、リベルに座ることを勧め、二人は席に着いた。
「今日は姫さんはいないのか?」
「ええ。お誘いしてみたのですが、断られてしまいました。ですので、休暇のようなものですね」
苦笑気味に言う様子から、いつか見かけた時のようなツンツンした態度を姫にとられたのだろう、とリベルは推測した。
そして、何となく気になっていたことを聞いてみた。
「余計な世話だと思うけど……客観的に見た姫さんの印象はさほど良いもんじゃねぇ。言動が尖りすぎてる。少なくとも、異性としてお付き合いしたいタイプじゃねぇな」
ベルティルデはくすくすと笑った。
「いや、だからさ、そういう人間と四六時中ずっといるのは楽しいのかと思ってな」
「ふふふ、そういうことですか。姫様は自分にも他人にも厳しいお方ですから」
「……ま、何となくわかるよ。やることはきっちりやってるみてぇだし。その点は好感が持てる。けどなぁ」
「そうですね……ちょっと疑り深いところがありますね」
「ちょっとか?」
「ちょっとです。ですがそれは、ご自身のお立場からくるものなのです。どうかお許しください」
「身分があるってのも大変なんだな」
「ですがお部屋にわたくしと二人でいる時は、もう少しくつろいでいらっしゃいますよ。お花が好きなので、一緒に花瓶に飾りながらおしゃべりをしたり」
「そこだけ聞くとふつうだな。……ところで、あんたも普段は神殿で障壁の維持に関わってるんだよな?」
「微力ですが」
リベルはやや疑わし気な目でベルティルデを見た。
正真正銘、言葉通りの『微力』なら、たとえ親しい侍女とはいえあの厳しい姫が同席させるはずがないと思ったからだ。
そんな視線に戸惑うベルティルデに、リベルはそっとため息を吐いた。
彼女の魔法の実力は、神殿長や姫には及ばなくともそれなりに高いのかもしれない。
ちくちくとコンプレックスを刺激されるが、今は関係ないと頭から追い払う。
「リベルさんは薬師をなさっているんですよね」
「ああ」
「お互い、力を尽くしてがんばりましょうね」
「機会があれば、俺の薬もご贔屓に」
ベルティルデは微笑み、頷いた。
第2章 休日にあなたと温泉で
イリス・リーネルトに誘われて朝の露天風呂を訪れたリック・ソリアーノ。
「さすがに誰もいないね。イリスはもう入ってるのかなぁ」
男湯と女湯は岩壁で仕切られているが、声くらいは届くだろう。
せっかく二人で来たのだから黙っていたのではつまらない、と考えていたリックだったが……。
誰もいないと思っていた男湯には先客がいた。
髪が長いのか二つのお団子にして結い上げている。背を向けて肩まで湯につかっているが、華奢な感じからしてリックと同い年かそれ以下か。
「おはよう。早いんだね。──!?」
先客に声をかけ、ちらっと振り向いた彼……いや、彼女の悪戯っぽい笑みにリックは目も口もまん丸にした。
そして。
「きゃ~っ、ごめんなさい~っ。僕、間違えちゃった!?」
真っ赤になって慌てて出て行こうとするリックを、イリスが呼び止めた。
「待って! 間違えてないよ! それに……水着着てるから」
ピタ、とリックの足が止まる。
「ねえ、リック。誰もいないんだもん。一緒に入ろうよ」
「えぇ!? そ、それは……い、いけませんっ」
「わたしと一緒は嫌……?」
「嫌とかじゃなくて、えーと……」
リックの背が落ち着きなくもぞもぞと揺れる。
なかなか顔を見せてくれないリックに、イリスは少し思案して、合わせた手の隙間からピューッとお湯を飛ばした。
見事リックの背に当たり、びっくりした彼は飛び上がる。
「え、あれ、何? お湯?」
「……次は、お水かけちゃうよ」
「な、なんで?」
「一緒に入ってくれないから……」
「ね、ねぇ、本当に、水着着てるんだよね?」
おそるおそる顔半分だけ振り返るリック。
本当だよ、とイリスは水音を立てて立ち上がる。
パッと両手で顔を隠したリックだったが、わずかにあけた指の隙間から、イリスが言葉通りちゃんと水着を着ていたことを確かめた。
「何でそんな、紛らわしいデザインの……」
「びっくりするかなって」
「びっくりしすぎて、心臓がどうにかなるかと思ったよ」
イリスの水着は、肩紐を取り外したフリルバンドゥビキニだった。
リックは少しは落ち着きを取り戻して、ゆっくりと湯に入っていった。
「でも、水着なら温水プールでもよかったんじゃない?」
リックの当然の疑問に、イリスは口ごもる。
「もしかして、泳げないの……?」
「笑った? 今、笑ったよね?」
「わ、笑ってないよ! 僕だって、あんまりうまくないし。……じゃあ今度、一緒に練習しようか」
「う、うん。それなら……なんとか……たぶん……」
「逃げちゃダメだよ」
「そ、そっちこそ」
その後、誰もいないのをいいことにお湯を飛ばしあってさんざん遊んでからあがった。
ちょっと遊び過ぎたのか、休憩所でイリスはのぼせてぐったりしてしまっていた。
「はい、冷たいお水。大丈夫?」
「うん、へーきだよ」
テーブルにコップを置いたリックの手が、イリスの額に触れる。
ひんやりとした手が心地よくて、イリスは淡く微笑んだ。
リックはしばらくそうしたまま、イリスが回復するのを見守っていた。
午前中の、まだ空いている足湯にヴァネッサ・バーネットとベルティルデ・バイエルは並んで足を浸していた。
「すみません、露天風呂はその……なかなか勇気がなくて……」
「いや、気にすることないよ。ゆっくりすることが目的だからね」
からりとしたヴァネッサの笑顔に、ベルティルデは安心したように表情を緩めた。
「わたくし、足湯は初めてなのですが、気持ちの良いものなのですね」
「だろ? 疲れた時はここに来て休むのもいいかもね」
「ええ。本当に疲れが癒されます。ただ温かいお湯に足を入れているだけなのに、不思議です」
ベルティルデの口ぶりから、もしかして湯に浸かる習慣がないのではとヴァネッサは思った。
となると、彼女が暮らしていたウォテュラ王国では、どんな入浴をしていたのか気になってくるというもの。
「ウォテュラ王国で、あんた達はどんな湯浴みをしていたんだい?」
「そうですね……王族や貴族は個人用のお風呂が主流でしたね」
「個人用?」
「ええ。一人用で深さがある大きな木桶を使うんです。木桶には湯口がついた柱が設置されていて、その湯口からお湯を浴びて体を洗います。天幕が張られているので、外からは見えないんですよ」
「へぇ。じゃあ、そのお湯は誰かが送るんだね?」
「はい。沸かしたお湯がちょうどいい温度に冷めた頃、水の魔術師が送り込みます」
「けっこう手間なんだねぇ」
「ええ。ですから、庶民の方はサウナでしたね。貴族でも専用のサウナをお持ちの方もいたそうです」
「うん、それなら裸になってみんなでお湯に入るのは抵抗があるか……。う~ん、もったいない!」
どういう意味ですか、と首を傾げるベルティルデ。
ヴァネッサは自身が体験してきた湯治について話した。
「温泉には薬湯としての働きもあってね、たとえば、怪我や病気の治りが早くなったりなんていうのがあるんだよ」
「そうなんですか? もしかして、ここも?」
ベルティルデはわからない何かを見極めようとするようにお湯を見つめて足を揺らす。
ヴァネッサは小さく肩をすくめた。
「それはわからないけど。でも、あたしが知る山間にあった湯治場のお湯は、入ると肌がぴりっとしてね。患者に勧めるのはもちろん、あたし自身もよく浸かりに行ったもんさ」
「山間に……ですか。なかなか興味深いですね。どんな感じなのでしょう……」
諸国を巡り、人々の治療にあたってきたヴァネッサならではの話は、あまり外に出ることのなかったベルティルデには良い意味で刺激的であった。
「悲しい偶然とはいえ、ここにはいろんな国の連中が集まっちまった。それぞれの文化や習慣の違いを知った上で、一緒に過ごすのも悪くない。現に、この温泉はだいぶいい感じじゃないかい?」
「そうですね。こんなことになった時はどうなることかと思いましたけど、悪いことばかりじゃないですよね」
その後しばらく、二人の他愛のないおしゃべりは途切れることなく続いた。
レイザ達が作ったという、造船所近くにある温泉に、リルダ・サラインは初めて訪れていた。
話には聞いていたが、なかなか足を運ぶことができなかったのだ。
しかも、ただ様子を見に来ただけではなく、女湯にしっかり浸かっている。
「何だか申し訳ない感じがするけれど……」
「あら、誰に申し訳ないのです?」
リルダは一人で来たわけではなく、隣で微笑む『女将さん』──岩神あづまに誘われてこうしているのだ。
みんなが働いているのにのんびりするなんて……と、遠慮していたリルダをあづまはうまいこと丸め込み……ではなく、正当な、休む権利を説いて連れてきた。
「リルダさん、たまにはわがままを言っていいんですよ。でも……もしも、どうしても納得が難しいのなら、港町の人達のために温泉の安全を確認しにきたと思ったらどうですか? ここはまだできたばかりだそうですから」
「ん……安全確認か……覗きでも出るのかしら」
「出るかもしれませんね。いろいろと噂のあるレイザさんの発案と聞きましたから」
リルダはくすっと笑った。
「あづまさん、ありがとう。お言葉に甘えて、今日はゆっくりするわ」
ようやく肩の力を抜いたリルダに、あづまは嬉しそうにした。
そこで、この時のために持参してきたとっておきを披露する。
湯に盆を浮かべ、徳利と猪口を二つ置く。
あづまは品の良い手つきで徳利を傾け、中身を猪口に注いだ。
「さぁ、一献どうぞ」
「え、え?」
「我が『真砂』の秘蔵の純米大吟醸酒です」
「秘蔵ってことは、特別なものなのよね? いいの?」
「もちろんです。女将のあたしが言うのですから、間違いはありませんよ」
「それはそうよね……。じゃあ、いただきます」
リルダはくいっと猪口を傾け、中身を空にした。
「ふふふっ、なかなか良い飲みっぷりですね」
「あづまさんもどうぞ」
と、今度はリルダがもう一つの猪口をあづまに持たせた。
そして、リルダが注いだ酒をあづまもいただく。
「温泉で飲むお酒もまた格別でしょう?」
「ええ、染みるようなおいしさだわ。それに、とてもいい香り。これは本当にいいお酒ね」
「今度はお店でも飲んでみてくださいな。また違った味がするかもしれませんよ」
「その時は、女将さんが話し相手になってくれる?」
「心よりお待ち申し上げます」
あづまがわざとかしこまってみせた後、二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。
再び猪口が満たされ、今度はゆっくり飲みながら語らう。
「あたし、お店で港町の皆さんが楽しんでいる様子を見るとつくづく思うんです。お店やっていて本当に良かったと。リルダさんは、何かお好きなことはあります?」
「何かなぁ。やっぱり仕事かしら。洪水前は、小さいけど海運会社の経営をしていたの。いい時も悪い時もあったけど、今思うと充実していて楽しかったわ」
「あら、やはりお仕事さんとご結婚なさっているという噂は本当でしたか」
「ええ。旦那の名前はワーク・モアというのよ」
二人は軽やかに笑いながら、徳利の中身を減らしていった。
「くーっ、やっぱ温泉はいいな……!」
露天風呂の湯につかった、ラトヴィッジ・オールウィンはぎゅっと目を閉じて、幸せそうな笑みを浮かべる。
「男女を隔てる岩壁が無けりゃもっといいけど……壁の先には楽園が……!」
「ははははっ」
笑いながら、湯船に入ってきたのは、バート・カスタル。警備隊の隊長だ。
「なんて冗談だ、冗談」
「そうか? 俺もまじめにそう思う」
バートとラトヴィッジは洪水前からこの街で警備などの任務に就いてきた騎士だ。
「バートさん、誘いに乗ってくれてありがとな。それで、手紙にも書いたけど、アンタに聞きたい事がある」
深刻な内容ではないことは、予め手紙で知らせてあった。
「バートさんはさ、どうして騎士になったんだ?」
「そんなのガキの頃カッコイイと思ったから、それだけだ。ラトは?」
「意外と単純だな……。俺はさ、最初から決まってたから。それ以上でもそれ以下でもない」
ラトヴィッジの家は、騎士の家系であり、彼は騎士となるべく育てられてきた。
「けどさ……最近ちょっと思うんだ。俺は何者なんだろうなって」
バートはラトヴィッジの話を、ただ静かに聞いていた。
「恥ずかしい話だが、両親の決めた道以外には目もくれず歩いてきた。
騎士としての仕事も、与えられた道として当たり前に受け入れて、自分なりに真摯に務めてきたつもりだ。
けど……それでいいのかな?って、最近思い始めて」
ラトヴィッジは湯を見るともなく眺める。
「上手く言えないけど……俺は半端なんじゃないかって。普通は、目標とかやりたい事とか、そういうのをさ、皆持ってるんじゃないかと思った訳。バートさんは今は?」
「今は自分の意思で、ここに生きる人々を護りたいと思っている。騎士としては君主の民を公正に」
「そうか……そうだよなぁ……」
ラトヴィッジは遠くを見ながら考える。
家族は失ったが、ここには仲間も友人もいる。
だけれどどうだろう。自分は騎士として仕える主君に、国に、どれだけ忠誠を誓えるか。
「ラト」
突如、どんとバートが拳でラトヴィッジの胸を叩いてきた。
「お前、何の為にこんなに鍛えてるんだ? ただのマゾじゃなきゃ、いつか、誰かを守るためだろ。まだ、この身全てを賭して、守りたいと思える存在に出会えてないだけじゃないか?」
「出会えてない、か……」
騎士として自分に足りないものは、誰かを護りたいという意思。
そして、守りたいという存在、だろうか。
「うん、話に付き合ってくれて有難う。少しすっきりした気がする」
ラトヴィッジは軽く笑みを浮かべた。
「やっぱり、自分一人で考えすぎると視野が狭くなっていけない。
後、うん、悟った。俺は考えすぎちゃいけないキャラだってね」
「そのうち見つかるさ」
そしてまた、2人は顔を合わせて笑い合う。
「さて、固い話はお終い! やっぱり壁の向こうが気になるよな」
ラトヴィッジは岩壁に目を向けて、想像を膨らませる。
「バートさんは気になる子とかいないのか? 好みのタイプはどんな子?」
「付き合うのならしっかりした子だな……。ラトは?」
「俺は思わず守ってあげたくなるような子が好み、かな」
この時、バートは騎士である自分を支えるパートナーを。
ラトヴィッジは騎士として守るべき対象を、思い描いていた。
「今日は宜しくお願いします」
休校日に魔法学校生のアリス・ディーダムは、泳ぎを教えてもらうため、教師のレイザ・インダーを誘って温水プールに訪れていた。
「ああ、よろしく……それにしても」
ハーフパンツにパーカー姿でプールサイドで待っていたレイザは、着替えて自分の前に現れたアリスをじっと眺める。
「あ、変でしょうか。買ったばかりの水着なんですけれど」
可愛らしくてセクシーなピンク色のビキニだった。彼女に良く似合っている。
「ちょっと肌出し過ぎだ。でも、その体型だと、スクール水着はきついか」
「……はい」
赤くなりながら、アリスは頷く。
「悪い男に誘われないよう、気を付けろよ。例えば俺とか」
アリスの胸元を見ながら、レイザはにやりと笑う。
「先生は悪い人なのですか?」
「かもな。けど、生徒には手を出さないから安心しろ。それじゃ、練習をはじめるぞ」
「はい!」
アリスは全く泳げないため、浅い場所に入って、水に顔をつける練習、潜る練習から始めた。
それからプールサイドの岩を掴みながら、体を伸ばして浮いて、バタ足の練習。
「足は曲げない。足が沈んでると先に進まないぞ」
レイザがプールに入ってきて、アリスのお腹に手を添えて浮かせる。
「は、はい……んー」
「よし、そのまま少し進んでみようか」
レイザはアリスの両手をとって岩から離し、プールの奥へとゆっくり進んでいく。
アリスはレイザの手を掴みながら、一生懸命足を上下に動かす。
「……っと」
突然、レイザの手が水中に沈んだ。
「んっ、あ……っ」
驚いてアリスは立ち上がろうとしたが、足がつかない。
体を必死に動かしても顔が水上に出ない、息が出来ない。
溺れそうになるアリスを、慌ててレイザは水中から引きあげる。
「悪い、足をとられた」
「はあ、はあ、はあ……」
アリスは泣きそうになりながら、レイザにしがみついた。
ほんの少しの時間だったけれど、怖かった。
「ごめん、アリスには深い場所だったな。続きはまた今度にしよう」
「……はい……っ」
アリスの足が届く場所まで、レイザは彼女を抱えて運んだ。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
アリスは赤くなりながらレイザから離れて、自分でプールからあがる。
「風の魔法で浮くことはできますが、突然海に投げ出されたら魔法を使う余裕ないですよね。泳げるようになりたいです」
「そうだな。泳げるようになって余裕ができてくれば、魔法も使えるようになる」
言って、レイザはふわっとアリスに大きなタオルを掛けた。
彼の表情は講義をしている時よりずっと穏やかだった。
(授業に人工太陽の打上げもしていて、疲れているでしょうから。今日が少しでも癒しになればと思ったのですけれど……)
アリスが泳げるようになるのはまだ先のようであり、今日は逆に指導で疲れさせてしまったかもしれない。
「一緒に温泉入っていくか?」
「……そういえば先生、覗きの趣味があるって誤解される言動に、思い当たる節はないんですか?」
この露天風呂、温水プールはレイザ発案で作られたという。
覗きをするために、作ったのではないかという噂だって出ていそうだ。
「ない、とは言えない」
レイザは軽く目を泳がせた。
「ま、これからは気を付ける」
そしてクスッと笑みを浮かべると、アリスを更衣室へとエスコートし、自分も男性用の更衣室へと向かっていった。
普段通りの制服姿で、バート・カスタルはマーガレット・ヘイルシャムを迎えに、領主の館に訪れた。
「君に俺以外同行を頼める男がいないっていうのは意外だな。理知的で凄く綺麗だから、貴族の男がほっとかないだろうに」
世辞ではなく、バートは素直にそう思った。
マーガレットは痩せてはいるが、彼女の儚げな美しさは神秘的な雰囲気を醸し出しており、綺麗で魅力的だ。
「私はあまり健康ではありませんので……」
「そうかー。温泉は体にいいっていうし、俺が一緒に行けない時も、騎士の誰かを捕まえて通ったらどうだ」
「そうですね、考えてみます」
今回の目的は温泉で執筆疲れを癒す為でもあるけれど。
(温泉は、現在執筆中の薔薇騎士物語のいいロケーションになりそうです。若騎士たちがお互いの鍛え上げた肉体を湯けむりの中惜しげもなく見せ合い……素晴らしいですね!)
マーガレットはすまし顔で歩きながら1人思いを巡らす。
(タイトルは薔薇騎士物語外伝…湯けむり慕情編…。んー、なんか違いますね。まぁ、後で考えましょう)
これがBL本執筆のための取材でもあることなんて、知る由もなく。
「それじゃ、いこうか」
バートは爽やかな笑顔でマーガレットを温泉にエスコートするのだった。
……さて。
ゆっくりと温泉につかり、じっくりと妄想を膨らませて構想を練ったあと、マーガレットは休憩所に向った。
『今日は君の護衛で来たんだから、君が出るまでここで待っている』
とか言い張って、脱衣所の前で石像のように立っていようとするバートを、実は自分が温泉に入りたいからだけではなくて、バートに温泉に入って日頃の激務の疲れを癒して欲しくて誘ったのだとか、エスコートしてもらっておいて、自分だけゆっくりすることなど出来ないとか言いくるめて、男湯に送りだしていた。
「あっ、早かったな。ちゃんと温まったか?」
バートは先に休憩所に来ており、髪を拭いていた。
「こちらへどうぞ、お嬢様」
わざとらしく言い、微笑んでマーガレットを足湯に促すと、自分も隣に座った。
「そちらの湯はどうでした? ご友人のレイザ殿や騎士団のお仲間もどなたかいらしてましたか?」
「今日は団員とは会わなかったな。レイザとも」
「そうですか……今日はということは、こちらで会うこともあるのですか?」
「仕事の合間に良く利用させてもらってるからな。普段は皆烏の行水状態なんだが、仕事終わった後一緒に来てのんびりすることもある」
それは是非とも取材させてほしいシチュエーションである。
この目で見ることができれば、よりリアリティ溢れる描写が出来るというのに!
「殿方同士も、湯船の中で語り合われたりするものでしょうか?」
「そうだな。真面目な話をすることも多いが……やっぱり皆仕切りの岩壁が気になるようで」
バートは可笑しそうに笑みを浮かべる。
「ところで、カスタル卿はどのようなタイプの殿方が好みですか?」
思わず、マーガレットの口からストレートな質問が出てしまった。
「ん?」
「ではなくて、どのようなタイプの女性が……いえ、今の質問は忘れてください」
「なんでだ? 男でも女でも、芯が強い奴が(人として)好きだ」
(警備隊隊長は両刀使い――。波乱万丈な展開になりそうですね!)
マーガレットの脳裏に、薔薇騎士物語の新たな1ページが作られていく。
今宵は筆が走りそうだ。
こちらのリアクションの担当は以下となっております。
第1章の「☆ ☆ ☆」まで 東谷駿吾
「☆ ☆ ☆」から、第2章の「※ ※ ※」まで 冷泉みのり
「※ ※ ※」からラストまで 川岸満里亜
尚、オープニングは鈴鹿高丸が担当いたしました。
こんにちは、ライターの東谷です。
いいですね、温泉。最後に行ったのは、いつだったか……。
ただ、他人に体を見られるのが恥ずかしいので、わたしはなかなか楽しめません。
温泉、自宅のお風呂場に湧いてこないかな……。
こんにちは、冷泉みのりです。少しですが参加いたしました。
温泉はついつい入り過ぎてしまい、いつまでたっても顔の赤みが消えなかったりしています。恥ずかしいですね。
次のイベントもぜひお出かけください!
川岸満里亜です。今回はほんの少し担当させていただきました!
温泉行きたいです。のんびりしたいですー。
誰も入っていない時間にひっそり入るのがとても好き。でも、ちょっと怖くなる時もあります。
次回のイベントも読者としても楽しみです!