メインシナリオ/サイド第8回
『炎の慟哭 第4話』



第1章 決意

 高濃度の魔力が身体を蝕んでいく。
 魔力と共に流れ込む負の感情が、火山火口近くに留まる者たちの精神をも苦しませていった。
(……苦しくても、諦めません)
 ピア・グレイアムは、首にかけたネックレスの小さな石を握りしめた。
 このネックレスは魔力増幅器だという。
 効果時間が長い魔法薬とは違い、瞬間的に魔力を大幅に増幅させる装置で、体に負担がかかるものだ。
 無理に力を引き出そうとすると、命を落とすとも聞いていた。
(バートさん、どうか帰ってきて……)
 ただ、一瞬だけ魔力をあげることが、必要となる時……それを見定めなければならない。
「……俺等がここで埋まれば犠牲は少ないよな」
 ロスティン・マイカンが呟いた。
 このままここを塞いてしまえば、障壁内の犠牲は少なくすむ。
 それは皆、解っていた。
「でもな、それこれまで、過去に溶岩に行った奴を見捨てたのと同じだと思うぞ。少数に負担掛けるからそいつがえらい目に遭うんだよ」
 うんうんと頷き、自分をも納得させながらロスティンは続ける。
「皆がちょっとずつ負担して頑張りゃ被害少なくなるはずだって。
 よーし、皆に迷惑かけて全員生きるぞ!」
 弱い笑みを浮かべてロスティンがそう言うと、場の緊張が少しだけほぐれた。
(半端者が全力出すんだから神様ちょっとは幸運くれよな)
 心の中で、ロスティンはそう思いながら、逃げずに抗う覚悟を決めていた。
「皆を助けるために、ぼくの回復をお願いできないかな?」
 アーリーを助けるために、何をしたらいいか? そう尋ねたミーザ・ルマンダに、トゥーニャ・ルムナが訊くと、ミーザは怪訝そうな顔をした。
「うん。ミーザちゃん、トゥーニャさんと一緒に崩落現場まで行ってもらえないかな? 俺は一緒に行けないけれど……」
 水の魔法で辺りを冷やしながらロスティンが言う。
「道塞がれてて全員死ぬなんて嫌だぜ。ミーザちゃんならやれるやれる。
 こっちは俺が持たすからちゃちゃっと行って帰ってきてねー」
 苦しげながらも、ロスティンは笑みをミーザに向けた。
「……わかりました。トゥーニャさんと見てきます。でも、留まってる魔力を外に流すだけの穴を開けたら、直ぐに戻ってきます」
 意思の籠った目でミーザは言い、ロスティンと頷き合う。そして、すぐにアウロラ・メルクリアスと代わりトゥーニャの回復を担った。
「それじゃ、行ってくるね」
 その言葉が終わらないうちに、トゥーニャはミーザを抱えて、風の魔法で掘り進めてきた道の中へ飛んだ。
「あきらめない。みんなで生きて帰る……!」
「っと、どうしても息をしなきゃならない時は、上の方の空気を吸うんだ。ガスは下から溜まっていくはずだから」
 よろめくアウロラの身体をロスティンが支えた。
「うん、ありがとう……っ」
 アウロラは皮袋の中に上部の空気を溜め、ロスティンとピアは空の水筒を口に当てた。
 アウロラは途絶えそうになる意識を、唇を噛んで奮い立たせる。
 ピアとロスティンが倒れたら、この場を維持することはできない。2人のどちらかが倒れれば、全員、命を落としてしまう。そして、深部に行った人達も帰れなくなる。
 強い魔力の影響で、体力を失い、アウロラは気力だけで立っていた。
 魔力もほぼ、枯渇状態。それでも、2人を守る。2人を絶対に倒れさせることはできない。
 強い意志を持ち、2人を回復しようとする。
「大丈夫です。私達はすぐには倒れません。まずは、自分の回復を……あなた自身を守って」
 心配そうにネックレスを握りしめながらピアがアウロラにそう言った。
 体力も、魔力も尽きかけている今のアウロラには、魔力増幅装置を発動できないことがわかる。
 自分やロスティンも、一瞬だけ魔力を上げても、一度限り魔法効果を増幅しても、今は意味がないということも。ここでは持久力が必要だった。皆で帰るために、今は気力を振り絞り耐えることだけが、出来ることだった。

 洞窟内の分かれ道に造ったシェルターの中――。
「崩れる音がした。火山に向かった人たちの、帰る道、きっと塞がってしまった」
 魔法鉱石探索に協力し、仲間達とシェルターの中に避難していたファルが、シェルターの外に出て辺りを見回す。
 あまり補強がされていなかった魔法鉱石探索ルートは、完全に塞がってしまっている。
 恐らくは火山近くの道も……。
(洞窟の奥には、命懸けの計画に志願した人達がいる。それには及ばなくても、助けになりたい……!)
 ファルはシェルターの中に戻り、救急セットと水、非常食を抱える。
「洞窟の奥に向かった人、助けにいこう。怪我している人もいると思うから」
「しかし、こう地震が続いててはな……っ」
 作業員たちが顔を顰める。話をしている間も、大地の揺れは続いていた。
 いつまた、大きく揺れるか、自分達の帰還さえ危ぶまれる状況だった。
「だからこそ、出来る限り早く……騎士さんは、ここ護っててください。笛の合図と、逃げてきた人の誘導もお願いします」
 言って、ファルは荷物を持ち洞窟の奥へと駆けだした。
「お、俺も行く!」
 共に避難していた作業員たちが、ファルに続いてシェルターから飛び出した。
「危険を感じたら、直ぐにここに戻ってくるように!」
 騎士の声が洞窟に響く。

 

*  *  *


 神殿。聖石が置かれた間にて――。
「ええっと、ちょっと待て」
 聖石の前に立ったベルティルデ・バイエルを追い、リベル・オウスが下りてきた。
「ベル……それとも、ルース姫?」
「はい、わたくしがルースです。リベルさん」
 申し訳なさそうに、ベルティルデがリベルを見た。
(……参ったな、とんでもねえ相手を気に入っちまったみてえだ)
 リベルはため息をつきつつ、首を左右に振った。
「そうか。あんたが参加するなら事情が変わってくる」
 リベルは部屋に残っているメンバーの状態を見て回る。
 リベルがメンバーを選定している間に、騎士のナイト・ゲイルがベルティルデに近づいた。
「助かる、このまま聖石を持っていからたらどうしようもなかった。伯爵からアンタは来ないって言われてたけど、何故来てくれた?」
「護りたいと思いました。自分の意思で、共に生きてきた人たちを」
 貴族のマーガレット・ヘイルシャムの紹介で遅れて訪れたヴォルク・ガムザトハノフをちらりと見て、ベルティルデは言った。
「そうか。ありがとう、あんたが来てくれてよかった」
「どうか、力を貸してください」
 ナイトは彼女に頭を下げ、ベルティルデもナイトに礼をした。
 そしてすぐに聖石に向き直り、手を当てた。
「時間がありません。一度だけ、皆様が命まで落とさない範囲の力を送ります」
 そんな彼女の姿に、マーガレットは疑問を覚えていた。
(今更やってきてまるで救世主のように振る舞うのはどうなんですかね……)
「私も、手伝います」
 サーナ・シフレアンがベルティルデの隣に立ち、同じように手を当てた。
(とはいえ、今は残された希望に賭けるしかありませんし、帰ってきた者たちを出迎えるためにも、私もここで死ぬわけにはいきません)
 マーガレットはこれまで死力を尽くしてきたサーナを案じていたが、彼女はベルティルデに任せて退くようなことはなく、彼女のサポートとして力の提供を続ける意思を見せた。
「そうだよな、そんなのは間違ってるよな。俺達で変えよう」
 ラトヴィッジ・オールウィンが、サーナ手に自らの手を重ねた。
 それは、『また誰かを犠牲に生きるの? 虐げてきた人を犠牲に生きるの?』そのサーナの言葉への返事だった。
 一人で出来ることは、限られているけれど。
 彼女が、サーナが。そして皆がいる。
「想いは届くと、未来はあると、俺は信じてる」
 想いと力を届ける手段も、あと1度だけある。
 ラトヴィッジは体力回復薬を半分だけ飲んだ。そして……この場で、生命力提供の意思を持つ人の中で、一番危なそうな人、マーガレットに半分薬を渡した。
「ありがとうございます」
「っと、ちょっと待ってくれ」
 感謝して飲もうとしたマーガレットを、薬を提供したリベルが止めた。
「魔法薬は併用ができないんだ。あんたは体力増幅薬を飲んでて、その効果がまだ切れてないから、今飲んでもムダになる」
 マーガレットは先の生命力提供で体力を消費していたが、魔法薬で増幅しているため今の状態でいられている。
 今飲むよりも、後から飲んで回復させた方が良いというリベルのアドバイスを受け、マーガレットは「わかりました」と頷き、薬瓶を握りしめ、サーナに目を向けた。
「サーナさん……たとえ、どのような結果になったとしても、私はあなたと共にここにいれたことを誇りに思っています。今もそしてこれからも」
「マーガレットさん……」
 心配そうにサーナがマーガレットを見詰める。
「いや、これは遺言じゃないですよ。私死なないですよ。死ぬつもりはないです。
 戻ってくるバートや友人たちを出迎えないといけませんし、それにあなたはまだ無知すぎます。深慮に欠けるし、すぐに泣くし叫ぶし……」
 サーナが眉を寄せる。傷ついた時の顔だ。
 マーガレットは穏やかな表情で、こう続けた。
「幸い私は知識は豊富ですし、教えられることはまだいろいろあります。
 そうですね、例えば……狼について、とか」
 そう言うと、ラトヴィッジが「ん?」と怪訝そうな顔になり、サーナはなぜか少し慌てて、うんうんと首を縦に振った。

「ナイトに、リベルか。俺を助けてくれたのは」
 ベルティルデの訪れを知り、エイディン・バルドバルが下りてきた。
「先ずは礼を言わせてくれ。助けてくれて、ありがとう」
 言って、エイディンは2人に深々と頭を下げた。
「残念だが、状況はまだ芳しくないようだな。もう一度だけ命を送れるというなら、もちろん俺も参加させてもらう。俺の命がどれくらい残っているかわからないが、火山に向かった連中の負担に比べればどうと言うことはない」
 顔を上げてそう言うと、
「馬鹿な真似はするなよ」
 ナイトがエイディンに険しい顔を向けた。
 そんな彼の言葉に、エイディンはふっと微笑み「頼りにしているぞ」と答える。
 ナイトは内心ため息をつきながらも、バシッとエイディンの大きな体を叩いた。
「任せておけ」
 そして、魔力がなく絶大な体力を持つ2人もまた、聖石の前に立った。
「俺もだが、この後やることがあるヤツは、最低限の提供に留めておけ。特に動けない騎士とか、置物よりも価値がねえからな」
 リベルが伯爵直属の騎士に厳しい目を向けた。
「ホントは比較的体力のある奴らのみにしたいところだが――生き残る意思のある奴は、まあ仕方ないか」
 リベルがマーガレットを見ると、彼女は意志の籠る目で頷いた。
「では、部屋全体から送る力は少なくします。それぞれ無理のない範囲で、送りたい相手に力を送ってください。時間がありません、早く、お願いいたします」
 ぐらりと大きく部屋が揺れる。
 ベルティルデは焦りを感じながら、集中する。
 部屋に魔法陣が浮かび上がり、準備が整っていく。

 

*  *  *


 皆の場所に空気は残して来たが、術者であるトゥーニャが離れてしまえば、防壁は消えてしまう。
 早く、穴をあけて戻らなければと、トゥーニャはミーザの回復を受けながら全力で飛んだ。
 ミーザの魔法技能は素晴らしく、トゥーニャは安心して力を発揮できていた。
「光が届いてない。速度落して」
 衝突しないよう注意を払いながら、崩れて塞がった場所に到着を果たして直ぐ、トゥーニャは深く集中をして風を一点に集めて放ち、穴を開ける。
 ……簡単には貫通しなかった。かなりの距離が塞がれているらしい。
 大地は未だ揺れ続けていて、強い魔力も押し寄せている。
「しっかり」
 ミーザに支えられながら、集中して何度か魔法を放ち――。
「抜けた。風が抜けたよ」
 即座にミーザが笛を吹いた。短く3回を何度か繰り返す。
「皆生きてるから、空気を送って。それから水も用意して」
 騎士が待機していると思われる場所まで、数百メートルある。声は届かないかもしれないけれど、一度だけ大声でトゥーニャは言って、そして再びミーザを抱きかかえ、皆のところに全速力で戻っていった。


第2章 命を賭して

 マテオ・テーペ内を襲った激しい地震は、港町やその周辺にもかなりの影響を与えていた。
 建ててからかなりの年月を経ている古い民家などは揺れに耐え切れずに完全に倒壊したものもあり、何とか持ちこたえたところでも半壊状態となっているところが多い。
 そんな中、トモシ・ファーロは町を走り回っていた。
 目的は、住民たちの混乱を少しでも抑え、被害を最小限に食い止めることだ。
 大きな地震は収まってはいるが、いまだ小さな揺れは断続的に続いていて、それなりに大きな揺れが起きる時もある。さらに町では吹くはずのない風が吹き、ため池などの水が揺らいだり、火が点かなかったり、燃え過ぎたりする等さまざまな現象も起きていた。
 それが今のところ大きなパニックにならずに持ちこたえているのは、トモシと、そして今、同じように町中を走り回っているリルダ・サラインの行動の影響が少なからずある。

 地震直後のことだった。 二人はどちらからともなく、自然と落ち合った。
「リルダさん、大丈夫ですか?」
 トモシはそう声を掛けると、まずは互いの無事を確認する。
 その後二人はすぐに住民たちの避難と誘導についての相談を始めた。
「どこか開けたところを野外病院も兼ねた避難所にするのはどうだろう。可能なら避難時に自宅の包帯や薬も持ってきてもらえば、少しは手当ができるかもしれない」
 トモシのそんな提案に、一も二もなくリルダは同意する。各地区ごとに被害状況をまとめてもらって情報の収集や伝達を効率的にしたらどうだろう、といった提案にも、それならそれはこちらで動きましょう、とすぐさま返事が返ってきた。確かにそれは、顔の広いリルダにとって適任だった。
 そして今、トモシは町中を走り回って、避難所の情報を伝えたり、困っている人の手助けをしたり、また地震は収まるはずと伝え、励ましたりといったことをしている。
 そうすると不思議なもので、トモシの動きに合わせて同じように互いに助け合ったり、励まし合ったりといった動きが住民たちにも出てきていた。住民たちは互いに声を掛けあい、為すべきことを探して動いている。
 実際二人のお蔭で、建物などが受けた被害の大きさの割に混乱は最小限に抑えられていた。徐々に救助活動も避難も進みつつある。
 何度も至るところを走りまわった後、トモシは自分たちが決めた避難場所である港町の広場に戻った。
 そこは既に避難民たちでごった返している。
 しかし、なぜだかその中でも彼女の姿を見つけることは容易かった。
 先ほどまでの自分と同じように周囲を励まし、助け、忙しそうに動き回っている。
「リルダさんっ」
 そちらへ少しだけ歩を進め、声を掛けた。
 彼女は振り返ってこちらを見ると、ぱっと花が咲いたような笑顔を見せてくれた。
 それだけで、トモシの身体の中に溜まった疲労は嘘のように消えていった。


*  *  *


「力を送りたい奴がいたら送っておけよ」
 ナイトは、囚人たちを聖石の側に集めた。
「確かトゥーニャだっけ? って奴も火山にいるはずだ。以前一緒にいたよな? 仲間だろ?」
「あ? なんでそんなところに行ってるんだよ。懲罰部隊にでも入らされたか?」
 怪訝そうに言いながらも、囚人の一人がトゥーニャに力を送った。
「一緒に行ったアウロラとかいう奴にも、誰かできたら力を送ってやってくれ」
「魔法制御訓練に来てた娘だな。うーん、ま、そうだな」
 もう一人はアウロラに。そして最後の一人は……。
「俺はあの娘に送るぜ。一緒に鉱石探索をしてた娘なんだけど、多分洞窟内にいるんじゃないかと思ってな。頑張れって応援したい」
「そうか、力の通り道にいるのなら、届くだろう」
 最後の一人はファルに。想いと力を送ることを望んだ。
ウィリアム、アウロラ、カイマン卿――)
 マーガレットは知り合いの姿を思い浮かべ、無事であることを祈りながら、聖石に触れた。
(バート、愛しています。どうか、帰ってきてください)
 それから愛する人に、愛の気持ちを送る。
(死ぬなよ。いや、死なせはしなえ。あんたにはでっけえ貸しがある。返しに来い!)
 リベルは、酷い火傷を負わされた相手、アーリー・オサードに生命力と想いを送り、
「それでは私は、アーリーを側で守ってくれている人に」
 サーナは、ウィリアムを思い浮かべて、自らの力を送った。
(火山よ、俺達の仲間を連れていかないでくれ)
 ラトヴィッジはサーナを支えながら、深く祈る。
 彼には、サーナを幸せにし、自身も彼女と幸せになるという夢がある。
 だから、命全てを捧げることは出来ないけれど。限界まで、火山に居る仲間達に、命を注いでいく。
(ここにいる皆は同じ気持ちの筈だ……!)
 ラトヴィッジはバートを思い浮かべた。
(バートさん、生きて帰ってこい……!)
 意識を失う一歩手前の限界まで、残る力をラトヴィッジは聖石に注いだ。
 そして、エイディンも再び、聖石に触れる。
 思い浮かべる相手は、メリッサ・ガートナー。
 説明会の時から、熱心に志願していた女性だ。
 深部で指揮をとるらしいレイザに寄り添って歩いていた彼女を思い浮かべながら、エイディンはギリギリまで、命を振り絞り彼女に力を送る。
「そこまでだ」
 気絶する直前に、ナイトに引きはがされる。
「すまない」
 と微笑して、エイディンは倒れた。
「火口に向かった水魔術師がいたな? 微力ながら自分の力はその者に」
 青年騎士は、ロスティンに力を届けてくれるよう頼み、ロスティンを知るサーナが頷き、ベルティルデと共に力を送り届けた。
「よーセンセ、まだ生きてっか? 俺、最後にさ、センセに伝えたい事があってさ」
 子供の小さな手が、聖石に触れた。
 魔法学校の問題児。メリッサを姉と慕う少年――ヴォルクだ。
「センセの助言のお蔭で俺は強くなれた、早くもセンセに勝ってしまうほどに」
「言葉は届きません。想いを注いでください」
 そんなベルティルデの説明はヴォルクに届かない。
 あはははっと笑いながら、ヴォルクはレイザに向けて、言葉を放っていく。
「メリッサに守られてばかりのセンセって、ホント甲斐性無しだよなァ。ダサすぎだぜ、センセ」
 子供の辛辣な言葉が、辺りに響いていく。大人ならば、止められただろう。
 大人ならば、ベルティルデは送らなかっただろう――。
「喧嘩ンとき、完全勝利しちまって悪かったな。俺の全戦全勝か、尻尾巻いて逃げるとかマネできない、流石センセ。ああそうか、10歳児に喧嘩で負けた恥ずかしさで、死にたくなったか。なるほど、今の状況を利用してるだけか、ダセーよ、がっかりだ」
 魔法を使うなと常々ヴォルクに言ってきたのは、喧嘩に負けるからだろう。納得のダサさだとヴォルクは嘲る。
「新魔法が出来たが、また負けてキリッとした顔で「あれはもう二度と使うな」って言うんだろ? あんま気にすんな。少なくても俺は気にしない。ギャハ!」

イラスト:雪代ゆゆ
イラスト:雪代ゆゆ

 流石にもうやめろと、ナイトがヴォルクの肩に手をかける。
 ヴォルクは頑として聖石から手を離さず、レイザを罵倒し続ける。
「落ち着いたら、センセの像作るぜ? ボコされて泣いてる像。そういえば、髪型もダサいよな、清潔感が足りない。実は非モテだろ? その歳で厨二進行形だしな、落ち着けよ」
 ぎゃははははっと笑いながら、ヴォルクは大きな声で言う。
 途端、体を浮かすほどの地震が発生し、皆が倒れ込む。
「怒ったか、ホントのこと言われて、怒ったかセンセ」
 怒れよ、文句を言いに帰って来い――。
「ぶっちゃけ超絶カッコ悪ィ!」
 叫ぶヴォルクを、ナイトが無理やり引き離し、後方に飛ばした。
 そして大きく息をついて、聖石に手を当ててレイザに想いを送る。
(おいレイザ! 火山の状況がヤバイ、どうなってんだよ!!
 こっちでどうにかしたとしても、そっちがどうしようもなかったら意味ねえだろうが!)
 そして強い思いと、エネルギーを彼に送る。
「こっちは俺がやる、そっちはお前が何とかしろ!」

 

*  *  *


 強く抱きしめていたから、彼の顔は見えなかった。
 ただ、苦しげな呼吸とうめき声が、メリッサ・ガードナーの耳に届いていた。
 彼の指輪が嵌められた指に指を絡めて、地の魔法でマグマを退け、メリッサは自分達の周りの空気を維持していた。
「最期に悔いなく話そう? 2人だから嘘はナシ」
 あとどれくらい持つだろうか。力を振り絞りながら、メリッサはレイザに語りかける。
「私ね、お婆ちゃんになっても、好きな人と手を繋いで歩くのに憧れてた。レイザくんそういうのしてくれなさそうだけど」
 もう少しだけ、もう少しだけ時間が欲しい――。
 ほんとは、もっとずっと、ずっと……だけれど。
「本当は欲張りたかったよ。レイザくんと一緒に生きていきたい、アホだなって隣でずっと笑っててくれたら、最高に幸せなのに……」
「わかって、た。それは言わない約束だ。それだけは言われたく、なかった……。できないんだ、ごめ、ん」
 苦しげで、悲しげなレイザ・インダーの掠れた声が、メリッサの耳に届いた。
「ごめんってなんで? 私、レイザくんに出逢えて嬉しいよ? 選んでくれて、すごく嬉しいよ?」
「人を、好きになっても……俺には、傍で、幸せにしてあげることが、出来ないから」
 苦しげな彼の声が、胸に響いた。
 そして渦巻く魔力と負の思念は、レイザだけではなく、メリッサをも苦しめる。
 2人だけ、2人だけの最後の時間を、どうか邪魔しないでとメリッサは願う――。
「そばにいていいってやっと自信が持てたのに、もう時間切れなのかな……もっと話してたい……。
 だってまだ知らないことばっかり、『教えてよ、せんせー』」
 弱く、本当に弱く、メリッサはレイザをつっついた。
「懐かしいね……時間、戻したいなぁ……」
 荒かったメリッサの息遣いが、次第に弱くなっていく。
「ねぇ、2人で……マグマに、溶けたら……ずっと、一緒に……居られるんだよね?」
 彼の顔を見ようとした。幸せ、だよと、笑顔を見せようとした。
 だけれど、表情を作る力ももう残ってはおらず、目からは涙が流れ落ちた。

「バート待て」
 帰還すると言ったバートの手を握りしめたまま、ウィリアムはその場を動かなかった。
 アーリーを背負った彼は、バートが強く腕を引いても動かす事は出来ない。
 強い魔力と渦巻く負の感情が、彼等を苦しめていた。
「この感情、一族の思念なんだよな? アーリー方向性だ、レイザの受け入れやすい方向に思念を誘導できないか?」
 苦しげな彼女に願うのはウィリアムとしても辛いが、レイザを失えば、彼女が生きる道を失ってしまうのだ。
「何の話だか知らんが、戻らないと皆が危ない!」
「付き合えよ、バート。レイザの事納得してないだろ」
 バートは強くウィリアムの手を引くが、ウィリアムは頑として動かない。
「魔力には確かに意思は存在しないかもしれん。だが、ここで死んだものの思念が残っているというのなら……」
 無駄かもしれないと思いはしても、ここで引いたら終りだ。
 アーリーに護られているとはいえ、ウィリアムも非常にキツイ状態だった。
 強く意思を保ちながら、ぐったりしているアーリーに言う。
「レイザは、一族以外にも大切な存在を持っている。だから、憎しみの気持ちだけじゃ乗ってくれねぇぞ。お前等、世界を壊し創生する、それが本当の願いか?」
「そうよ……」
「血、火山に対する責任を負わずに、普通に幸せに生きたかったんじゃねーのか?」
 それも本当の願い……いや、それこそが本当の願いだと、ウィリアムには解っていた。
「きっと、ここで死んだ奴らだって……。だから」
 ウィリアムはバートを引きづり、足を踏み出した。レイザ達が飛び込んだ方へと。
「あいつを最後の王にする為に願え、この生贄騒ぎが二度と起きない様に。
 そして静かに眠れよ。お前らが次生まれてくる頃には、こんな事は無くなってる事を信じろ、火山活動が終わらなくても」
 彼の中に入り、彼と共に、外へと――解放されることを願え。
 そして、新たな命として蘇り、幸せを掴むんだ。
 ウィリアムは想いを込めて、マグマの中に手を伸ばす。
 サーナ、そしてリベルの力が届き、アーリーに活力が戻ってきていた。
「一族の想いを受け入れて、生きて」
 アーリーはウィリアムを通して、自らの想いをマグマの中に在る思念に送る――。
 そして。
 ウィリアムの手が何かを掴んだ。

「レイザくんのいない場所で、生きるのなんて……イヤ、だから……これで、いいんだよね……?」
 限界に達する直前に、エイディンの力がメリッサに届いた。
 もう少し、時間を得られたことにメリッサは深く感謝をする。
「ごめん……心は、縛れないって解っていた、のに。お前の心を犠牲すると、わかっていた、けど、欲しかったんだ。嘘でも俺、だけを……」
 酷く苦しげな声が、メリッサの耳に届く。
「お前は、生きろ。俺と違って、帰るところも、他に好きな人たち……いるんだろ」
「一緒、だよ……イヤ、一緒が、いい……ずっと、一緒……」
 レイザには、ヴォルクの想いが届いていた。
 嘲り、罵りの感情。
「……そうだな、俺は……護られる為に、犠牲にしようとした、情けない、クズだ……。子供と、女を取り合った、みじめなガキだ」
 苦しげにそう呟いた後――何かが変わった。
 渦巻く負の感情に変化があった。力が、渦巻く魔力が彼の中に入っていく。そんな感覚をメリッサは受けていた。
「う……っ」
 集まる魔力に嬲られて、メリッサは苦痛を覚える。体が燃えていくような感覚だった。
「メリッサ……マグマを動かし、浮上させること、できるか?」
「一緒、に、皆のところ、戻る、の? や、る……」
 メリッサは力を振り絞り、マグマを動かして、沈んだ自分達の身体を元の場所へと戻そうと努力した――。
「……っ。く……っ」
 酷く苦しげなうめき声が響く。
 抱きしめているレイザの体の感触が変わっていた。
 触れ合っている彼の身体が脈打ち、膨れ上がっていく……何か別のものに変わっていく、とても恐ろしい感覚。
「レイザ、くん……」
 突如伸びてきた手が、メリッサを掴んだ。
「お前は、一緒に、死んでほしかった……唯一の女性」
 掠れた、知らない声がメリッサの耳に届いた。
「お前の望みは、俺では、叶えられない」
 力尽きて意識を失う彼女を、レイザは突き放した。
「力を受け入れろ、最後の王になれ」
 ウィリアムの声、そしてナイトの想いが、レイザに届く。
「すまない、もう少し時間がかかる。……護って、くれ。今の俺の心は、お前たちの、中に」
 虚ろに微笑み、レイザはマグマの中で手を伸ばした。
「来いよ」
 帰ろう、外の世界に――。

 掴んだもの――メリッサの身体を、ウィリアムはマグマの中からひっぱり出した。
 途端、周りのマグマを取り込むように、マグマが渦巻いていく。
 バートには制御出来ず、3人は後方へと、入口の方へと退いた。
「戻ろう。あいつにはすべきことがある。皆が心配だ……俺も帰りたい」
 バートが苦しげに眉間に皺を寄せた。
 マーガレットの想いと命が届いていた。病弱な彼女に過度に無理をさせてしまっている。心配でたまらなくなっていた。
 それからラトヴィッジの励ましと生命力が、バートに力を与えてくれていた。
「わかった。アーリー辛いかもしれんが、掴まっててくれ」
 ウィリアムにも、サーナの生命力が届いていた。アーリーを背負い、メリッサを抱え、バートに手を引かれる形で、皆が待機する場所へと歩きはじめる。
 強い魔力の波動が邪魔をする。大地の揺れも続いていた。
 いっぽいっぽ、強い波動に抵抗し、足を前へと踏み出し、歯を食いしばり、意識を振るい立たせ、歩いていく。

「はあ、はあ、はあ……簡単、だけれど……どうにか、皆で助け合って、シェルターに……」
 足場の悪い道を全力で走って、ファルは石板のある、休憩所のような開けた場所にたどり着いていた。
 地震で怪我をした協力者が2人、この場に留まっている。
 ピーピーピ……
 僅かな笛の音が、奥から響いてきた。
「伝え、ないと」
 協力者の一人が、笛を銜えて、同じように短く三回、笛を鳴らし後方に伝える。
 その間に、救急セットと舞い――魔法で、簡単にファルは治療を施した。
 ファルと共に駆け付けた協力者が、怪我をしている人に肩を貸して立ち上がる。
 奥に居る人達のところに、早く行かないと……。
 疲れ、そして度重なる地震により、何度も転倒し軽傷を負っていたけれど。
 ファルは気力を振り絞り、走りだす。
 と、そんなファルに温かな力と励ましが、届いた。
 一緒に、魔法鉱石の採掘をした囚人からだ。
(ありがとう)
 ほっと息をつく。随分と体が楽になった。
「この先、下り坂になっていて、ガスが溜まってた、から……来るときは、気を付けて」
 何度か探索した場所だ。ファルはついてきた協力者に注意を促し、走っていく。

 

*  *  *


 神殿の前で、イリス・リーネルトは預かってきた魔力制御装置を取り出した。
「わたしも、リックも、みんな無事で、箱船もちゃんと出航するってリックが前に言ってくれたから、そうなるようにリック一緒に頑張ろう。リックと一緒ならきっと大丈夫だよ」
 傍らには、リック・ソリアーノの姿がある。
 どんなに身体への負担が大きくて苦しくても、リックと一緒なら耐えられる。イリスはそう思っており、リックも同じ気持ちだった。
 洞窟から流れ込む魔力が増え、風が強くなり、池に波が発生し、水しぶきが飛び散り始めた。
 遠くに煙が見えた、火事だろうか……。
 地震はまだ続いていた。
「まだ、みんな戦ってる……。まだまだ魔力は沢山流れてくるはずだから」
 体力があまりない自分は、そう長くこの装置を扱うことはできない。
「うん、今はまだ大丈夫だと思う。僕も一緒に頑張るからね」
 リックがイリスに寄りそう。
「ありがとう。わたし、魔力全てを使って、出来る限りのことをしたい。でも、命を捨てるようなことはしないよ。だから、リックも」
 皆とても大切だけれど、一番大切なリックを、死なせたくはなかった。
 不安げに眺めていると、リックは優しく微笑んでこくりと頷いた。
 イリスはほっとしながら、リベルからもらった魔法薬が入った小瓶を一つ、リックに渡した。
「魔力を増幅する魔法薬なんだって。そろそろ飲んだ方がいいかな?」
「そうだね」
 受け取って、リックはイリスと一緒に魔法薬を飲んだ。
 地震が続いている。
 2人は支え合い、建物と崖から離れて、その時を待った。

(おおっ、体が楽になった。魔力が外に流れた……神殿からの力も届くようになったか)
(僅かな風を感じます。空気を流し入れてくれたのでしょうか。皆で帰りたい、帰りましょう……!)
 魔法の発動を続けながら、ロスティン、ピアは思う。アウロラは唇を噛んで意識を保ちながら、力を振り絞って皆の回復を続けている。
 待機場所で待つ3人は空気と体力の消費を抑えるため、動かず、会話をせずに待っていた。
 ガスの臭いが強くなっているようだが、既に臭いを殆ど感じなくなっている……。
「ただいまー」
 風と共にミーザを抱えたトゥーニャが戻る。
「上の方の空気を下ろしてくれ」
 ロスティンが苦しげに声をあげた。
「うん」
 トゥーニャは風の防壁を張り、皆を守る。少しガスの臭いが混ざる空気だったが、やむを得ない。
「ロスティンさん!」
 ミーザが飛びついて、ロスティンを癒し、手を伸ばしてピアのことも回復させる。
「お帰り、トゥーニャちゃん」
 アウロラはトゥーニャに抱き着き、2人は再び支え合うように立った。
 途端、体が跳ねるような地震が再び起きた。そして、崩れる音も響く。
「そうだよな、地震が治まらなきゃ、道は作れない」
「それでも、魔力が少し外に流れたおかげで、少し楽になったよ。それと、誰かが助けてくれたみたい」
 囚人の生命力がアウロラに届いていた。誰だかは解らなかったが、アウロラは深く感謝をした。
「マグマに動きが……!」
 力を振り絞り、この場を支えていたピアが、マグマの変化に気付く。
 次の瞬間、マグマが開きバートの姿が見えた。同時に強い魔力も流れ込むと思われたが、魔力の流れが変わっていた。マグマの中から魔力がこちらに流れ込んでくることはなかった。
 代わりに、引き寄せられるような感覚を受ける。バートたちもそうなのだろう、風の抵抗を受けているかのように、必死な形相で、ゆっくりとこちらへと向かってくる。
「アニサさん、頑張って……!」
「ミーザちゃん、それ以上近づいちゃだめだ」
 マグマに近づくミーザを、ロスティンが引き寄せる。
「もう一度、ぼくに力を貸して」
 トゥーニャが手を伸ばしミーザの腕を掴んだ。
 次の瞬間、トゥーニャは防壁を維持しつつ、風をコントロールして、マグマの中にいる皆を引き寄せる。
「ロスティンさん、備えてくださいッ!」
 ミーザが大きな声を上げた。
「うおおおっ!」
 ロスティンは水のビーズを振りまいて、フルパワーで魔法を発動する。
 トゥーニャが引っ張り込んだ皆が転がり込む。一緒に凄まじい熱も。
「くっ」
 バートは体を起こして直ぐに、マグマの道と壁を閉じた。
「火山が鎮まってないです。どうしたんですか!? 地震で帰り道塞がれてしまいました!」
 ミーザがアーリーを回復しながら、深部に行った者達に問いかけた。
「まだ鎮めている最中だ。帰路を開く。ピア、増幅器を!」
 バートが手を伸ばすが、ピアは強く首を横に振った。
「それよりもバートさんは、緩和剤を早く」
「そんな状況じゃない」
 ピアもバートも強い意思で拒否し合う。
「早く、戻るぞ……。帰路を開いて、くれ」
 苦しげに肩で息をしながら、バートが言う。
「まだ全員帰ってきてないよ?」
 そう言うトゥーニャからも疲労が見えていた。
 長時間の風の防壁維持に、長距離を貫通させる風魔法の発動、そして今の魔法発動――彼女の魔力もそう残ってはいなかった。
「絶対にみんなで生きて帰る……ッ」
 アウロラはもう魔力が残っていない。この場に流れ込んだ魔力の影響で身体にダメージを受けながらも、気力で立っていた。
 体力が尽きても、限界を超えても何が何でも回復を続ける、その意志だけで。
 トゥーニャが魔法で引っ張り込んだのは、バートと、ウィリアムウィリアムが抱えていたメリッサと、アーリー。……レイザの姿はなかった。
「……レイザにはまだやることがある。早く治療しなければ、彼女が死ぬぞ」
 ウィリアムが抱えていた――今、熱い地に倒れているメリッサは、既に回復魔法を受け付けない状態だった。
「頼むから、退いてくれ」
 バートが苦しげに言う。
「……ギリギリまで私がここで待ちますから、皆さん先に行ってください」
 アーリー、ロスティン、ウィリアムの順で回復をした後、ミーザが皆の後方に立った。
 熱対策の魔法薬を飲んでいて、場所の維持が出来る能力を持つ彼女は殿として適任、ではあった。
「それなら、俺もミーザちゃんと一緒だな。情けないけど、キミの肩を借りないともう立っていられないみたいだから」
「……わかりました。私が道を開きます」
 ピアはネックレス――増幅器を握りしめながら、覚悟を決める。
「それ、もしかして魔法を増幅する魔法具なのかな? 私も魔力回復したら、手伝うよ」
 アウロラが言い、バートが頷く。
「無理はするなよ。君たちやここにいる誰かが命を落し、帰還できなくなる場合は、俺も一緒に残る」
「まずはまた風穴だね? さっきも開けたんだけど、地震で閉じちゃったんだ」
 トゥーニャが確認する。
「そうだな。穴を開けた後、行きと同じように広げ、魔法で固めていくんだ」
 ウィリアムがスコップを手にする。
「穴は2つ開けて、空気を循環させてほしい」
 そうバートが補足した。
「この人は私が連れていくわ、死なせない。……彼女が死んだら、あの男も死を望みそうだから」
 アーリーがメリッサを肩に抱えて立ち上がった。
「あなたは彼女さん背負ってあげれば?」
 ちらりとアーリーがアウロラを見た。
 その誤解、まだ解けてなかったのかと、ウィリアムは内心苦笑しながらも、今はそんな話をしている場合ではない。
「ピア、トゥーニャと共に、穴を開けて維持。ウィリアムが掘り、アウロラがサポート。素早く、頼む」
 苦しげにバートが言う。よろめく彼をピアが支えた。
「……大丈夫だ、俺も後から行く」
「はい。迎えに、来ます」
 そう約束をして、ピアはトゥーニャと共に穴を開けに向かった。
 その後にスコップを手にアウロラを背負ったウィリアム、メリッサを抱えたアーリーが続いた。
「君たちも行け」
 障壁内へ続く道入口付近に、バートは座り込んだ。
「ここは俺がなんとかするから、洞窟が崩れないよう、皆を守ってあげてほしい」
 そして、苦しげな息の下、残ったロスティンとミーザに言った。
「なんとかするだけの力なんて、残ってないだろ? まともに歩くことも出来ないくせに。俺もだけど」
 ロスティンが苦笑する。彼を支えながら、ミーザは真剣な面持ちで黙っていた。
 共に魔力が枯渇し、この場に残る高濃度の魔力に、じりじりと体力を奪われていた。

 

*  *  *


 生命力提供を終えた神殿にて――。
「あんたはこの後も仕事が残ってる。それなら気休め程度だが飲んで体力つけとけ」
 リベルは聖石を持ち戻ろうとするベルティルデに、気付け薬を持たせた。
「ありがとうございます」
「それじゃ、お互い自分の仕事に全力を注いで無事に終わらせて再会しよう……あんたとは色々と話したい事があるからな」
 ベルティルデは梯子をのぼりながら「はい」と頷き、リベルは自分も気付け薬を飲むと、倒れた者たちの治療を始める。
 彼女達と入れ違いで、上の階で待機していた使用人たちが下りてきて、マットや毛布、治療に必要なものを投げ込み、生命力提供に当たっていた人達の介抱をしていく。
 ……と、その時。
 僅かな笛の音が届いた。短く、3回。
 危機を告げる合図。
 激しい地震はまだ続いていた。救助に行ける状態ではない。
 彼等が自力で戻ってくるために必要なもの――。
「空気か!?」
 ナイトが気付き、周りを見回す。
「強力な風魔法を使えるヤツはいるか!?」
 居たとしても、生命力提供で皆動ける状態ではない――はずだった。
「風か!? 風が必要なら、俺がやる」
 ナイトに剥がされ、倒れていた子供――ヴォルクが立ち上がり、拳を握りしめた。
「風を通す。外に続く扉を開けろ!」
 ナイトが大声を上げ、使用人が外に伝えていく。
 火山から流れてくる魔力の影響で、ナイトも酷く気分が悪かった。だが、休んでいる場合ではない、まだ倒れられない。
「よし、その穴だ。全力で風を送るんだ」
 ナイトはヴォルクを抱え上げて、彼の小さな体を自分の身体で支える。
「センセー、超絶ダセーんだよ、カッコ悪ィィィィィィィ、ギャハハハハハハハハッ」
 ヴォルクは叫びながら、洞窟に繋がる穴に凄まじい風を送っていく。

 

*  *  *


 火山に向かい、ファルは急いでいた。
 奥に進むにつれて、ガスの臭いが強くなっていく。
 これ以上は危険だと解ってはいるのだが、恐らくは吸い込んで即死するものではない。
 崩れている場所まであとどれくらいだろうか。出来るだけ早く道を開かねば――。
 と、その時。
「ここは危険だ、早く外へ!」
 騎士が1人奥から、駆けてきた。空気の確保に努めていた、風魔法の使い手だ。
 ファルは騎士に強く腕を引きガスが溜まっていない場所まで、引っ張られた。
 騎士は壁に手をつき、荒い呼吸を繰り返している。
「この先は、崩れて、塞がっている」
 騎士は、風穴が開いた後、笛の合図を後方に送り、キープしていた空気を穴に流し込し込んだ。そして空気の確保の為にここまで戻ってきたとのことだった。
「魔法鉱石探索に協力していたファルです。地の……魔法が使えます。奥に進んだ皆を助けないと。空気、送ってください」
「しかし、洞窟内の空気を循環させてても、他に被害者を増やすだ……あっ」
 風が流れ込んできた。神殿から送られた風だった。
「よし、風で空気を循環させる、行ってくれ」
 騎士は集中をして、風を巡らせた――。

「穴二つだね、まずはさっき開けた穴を貫通させよう」
 崩れた場所までたどり着いたトゥーニャとピアは、簡単な打ち合わせ後、それぞれ魔法を発動する。
 先ほどトゥーニャが開けた穴は完全には塞がっておらず、ピアの回復を受けながらのトゥーニャの魔法だけで、再び穴を開けることができた。
「もう一か所。こちらは広げていくための穴です。私が魔法で岩を動かします。頃合いを見て、トゥーニャさんが魔法を放ち、貫通させてください」
 言ってピアは覚悟を決めて、魔力増幅装置を発動した。
 深く集中して、目の前の岩を動かし細い空気の通り道を作っていく。
「いくよー」
 トゥーニャが鋭く風を放った途端。最初に開けた穴から、風が流れ込み、今開いた穴から、風が吹き出ていった。
「トゥーニャさん、防壁はもう大丈夫です。そのまま風を外に送ってください」
「うん」
 ピアは崩れないよう穴に魔力を注ぎ、維持していき、トゥーニャは体力が尽きないよう注意しながら、風を外に送っていく。
 アウロラを背負ったウィリアムが到着し、アウロラが地面に下りた。
「ピアさん、変わるよ! 休ませてもらって、魔力少し戻ったから。バートさんのこと迎えに行ってあげて」
「ありがとう、ございます。決して無理はしないでください。皆で、帰りましょう」
「うん、絶対皆で帰る!」
 2人は強く頷き合い、ピアはアウロラにバートから預かった魔力増幅装置を渡した。
 ピアは疲労でよろめきながら、壁に手をつき、必死に歩き出す。後方で維持する者たちのもとへ。
 ガスを吸い込んだ影響で、頭痛に吐き気、眩暈も感じていた。
 でもまだ、倒れるわけにはいかない。多くの人を、仲間を生かすために、命を燃やし、最後まで出来ることを――。
「風を、空気を送って!」
 外に向けてそう叫びながら、アウロラはトゥーニャを魔法で回復する。
 そして、送られてきた風を吸い込み呼吸を整えると、魔力増幅装置を発動した。
 装置から流れ込む強い力に、押しつぶされそうな感覚を受ける。
「負けない。皆で帰るんだッ!」
 強い意志を持ち、アウロラは小さな道に力を送り、維持していく。
「地震が弱まってきた。あと少しの辛抱だ」
 ウィリアムがスコップをもちいて、人が通れる広さへと道を広げていく。
 アーリーはメリッサを風穴の近くにおろし、無言でウィリアムを手伝い始めた。

「バートさん」
 必死に歩いて、ピアはバートたちが待機する場所へとたどり着いた。
「もう、大丈夫です。大丈夫、ですから……どうか、緩和剤、飲んでください……」
 手を伸ばしてきたピアを、バートは引き寄せて座らせた。
「ああ、風が届いている。あと少しだ、頑張ろう」
 バートがピアに微笑みかけた。途端、ピアの心に安心感が広がる。手を伸ばして彼の身体に最後の力でヒーリングをかけ、ピアは意識を失った。
「無理させて、すまない」
 バートは彼女の肩を抱き、自分に凭れかけさせる。
「とはいえ、1人帰ってきてないんだよな」
 ロスティンが複雑そうな顔で、深部の方向に目を向けた。
「地震が治まった。火山が鎮まったんだ……レイザはもう、ここにはいない。俺達も帰るべき場所へ、帰ろう」
 帰りたいんだと、バートは壁に手をつき、ピアを抱えて立ち上がる。が、とても自力で歩ける状態ではなかった。
 強力な魔力増幅薬使用により、バートの身体は内部から深く傷ついていた。魔法で体力は回復させることができても、傷や病を瞬時に治すことは出来ない。
「悪い……肩貸して」
 苦笑しながらバートはロスティンに手を伸ばした。
「え? むしろ俺、ミーザちゃんに肩借りてるんだけど」
「うーん、私に貴方は運べないですし、ここに置いていくわけにもいかないですしねー」
 ミーザは目を逸らしつつそう言い、ため息をつき、ロスティンを魔法で癒した。
「ピアさんは私がおんぶします。力が尽きるまで、ロスティンさんのこと回復するので、頑張ってください!」
「ははははは、それしかないかー。皆で生きて帰るためだ、頑張れ俺!」
 意を決して、ロスティンはバートの腕を自分の肩に回して、歩き出す。
「おも、い……やせろよ。俺みたいに!」
「ははは……別に、太っちゃいない。お前こそ、鍛えろよ、俺のように」
 そんな会話をしながら、ゆっくりと歩いていく……。

 ファルは塞がった場所までたどり着くと、岩に手を当てて、同調を試みる。
 そして、集中――舞で、魔法を発動して岩を動かし、隙間をつくり、開口部を拡張していく。
 後方から風は送られているものの、作業は長時間に渡り、ガスによる影響で眩暈や吐き気に襲われる。
 しばらくして、かなり距離はあると思われるが、反対側から発せられた強力な力で、穴が貫通した。
 そして、もう一か所、穴が開き、空気が通るようになった。
「風を、空気を送って!」
 声が響いてきた。
 ファルがそのまま後方にいる騎士に大声で伝えると、流れてくる風が強くなった。
「強い力が流れてくる……でも、大丈夫」
 火山から流れてくる魔力に、不快感を覚えるも、その力さえも利用しようとファルは試みる。
 舞いで、体を通過する魔力を留まらせて、自身の力に変えて発動できないかと――。
「あたし……ボクに任せて、すぐに助けてあげる……よ」
 留まらせた力の影響で、ファルの精神は女神と化す。
 流れてくる魔力を利用することは出来なかったけれど、微かに含まれる思念に同調し、ファルは受け入れていた。魔力は不快なものではなくなり、ファルファルは体力を奪われなかった。
「助け出すぞ、もう少しだ!」
 いつしか地震は治まっていた。
 ファルが道を広げる中、協力者はシャベルで懸命に土砂、岩をどけていく。
 そして――。

「見えた、人が見え、た。もう一度、もう一度力を貸して……!」
 アウロラは再び、魔力増幅装置を発動した。
「皆、離れて」
 アウロラ、そしてトゥーニャが全ての力をかけて、道を開く。
「こっちに来て」
 開かれた空間に、ファルが駆け込みアウロラを抱き上げて、補強された道へと運び出す。
 ファルに続き協力者が駆け込み、力尽きて倒れているトゥーニャを運んだ。
「すまない、助かった」
 ウィリアムはメリッサを背負い、アーリーの手を引いて通路から出てきた。
「すぐに運び出し手当てを頼む」
 メリッサを頼もうとするが、彼女を運び出せる人員がいなかった。
「私が連れて行くわよ。……大丈夫、死なせはしない」
「……頼んだ。すぐに俺も行く」
 背を向けてしゃがんだアーリーに、ウィリアムはメリッサを背負わせた。
 そして自らは直ぐに火口に続く通路へと戻る。
「おおーい、俺達も助けてくれー……」
 バートに肩を貸し、彼を引きずるように歩いているロスティンが弱弱しく声をあげた。
「ロスティンさん、頑張って……」
 励ましながら歩くミーザも、息があがっていた。
「バートは任せろ。っと、そっちもか」
 戻ってきたウィリアムが、バートの腕を引っ張り背負いあげる。
 バートはウィリアムよりも体が大きく、ミーザが背負うピアまでは運べそうになかった。
「ミーザちゃん、代わろうか」
 そう言うが、ロスティンの身体はもう限界に達しており、ふらふらと地に膝をついてしまった。
「大丈夫です。ちょっと気になることがあるんですけれど……帰ります」
 ミーザは何故か少しの迷いを見せた後、弱い笑みを浮かべた。
「私、ロスティンさんと、皆さんと一緒に帰ります」
 ロスティンの手をとって立たせ、魔法で彼の体力を回復させる。
 そして、外へ――いや、障壁内へと向けて歩き出した。

 

*  *  *


 神殿の前にて、緊張しながらイリスとリックがその時を待っていた。
「地震治まった?」
「うん、落ち着いたみたいだね」
 2人は複雑そうな顔で、火山の在る方向を眺めた。
「大丈夫、皆無事だよ」
 そう言って、リックはイリスの手を握る手に力を込めた。
 障壁内に流れ込む魔力の量が多くなった。
 台風が接近している時の様に、風は強くなっていた。
 風で池から巻きあげられた水が、雨のように周囲に降り注いでいる。
 煙と赤く染まった空が見える――倒壊した家が燃えているようだった。
 地震に続くこの不思議な現象に、人々はとても怯えているだろう。
「そろそろ、だね」
「うん……イリス」
 心配そうに、リックがイリスを見詰める。
「わかってる。限界まで頑張るけど、限界までだよ」
 命を投げ打つようなことはしないと、約束をして。
 イリスは両手で魔力制御装置を包み込み、心を落ち着かせて、深く集中をした。
(もう誰も死んでほしくない。みんなを守りたい……)
 町の人たち、造船所に居る父親、リックの家族、友人達。
 大切な人達の姿が、イリスの脳裏に浮かぶ。
 力を貸して。みんなを守るための力を。
 魔力制御装置を通じて、周囲の、イリスの魔力が及ぶ範囲全ての命に呼びかける。
 ここを守るための力を貸して。
 みんなで生きる為に、協力しよう。
 荒れている子たちを、撫でてあげるんだよ。
 みんなの魔力で、火の魔力を落ち着かせる。
(わたしがやるのは、そのサポート。魔力を、貸してね――)
 リックがイリスの手に自らの手を添えた。
 リックは魔力を注ぎ、イリスは魔力制御装置を発動する。マテオ・テーペ全てに届くよう、全ての魔力をかけて。

 

*  *  *


 ガス発生地点を過ぎたところで、合流した騎士にファルはアウロラを預け、その後は皆を励ましながら、非常食や水を飲ませたり、魔法での回復に回っていた。
 ウィリアムに背負われながら、辛うじて意識を保っていたバートは、もしもの時のためにと魔力増幅装置であるネックレスを求めてきたが、ネックレスはアウロラが固く握りしめたまま意識を失っており、洞窟を出るまで彼に返されることはなかった。
 ガスの匂いがなくなり、火山から流れ出た魔力が薄くなって、体への負担は少しずく軽くなっていった。
 一行は励まし合い、無事を確認し合いながら出口へと、人工太陽の光を求めて長い長い道を歩き続けて――数時間後、外へと出た。
「あ……」
 メリッサを背負い、洞窟からでたアーリーが空を見上げた。
 空には人工的に作り出した太陽が浮かんでいて、靄のかかった青い空が広がっている。
 そして、何故か。その空から、ふわふわと何かが落ちて来ていた。
「ゆき……?」
 そう、それは障壁内では降るはずのない、雪だった。
 雪は、一面に薄らと降り積もっている。
「意識のない者は馬車で直ぐに館に搬送しろ!」
 騎士が集まった協力者、作業員に指示をだし、重症な者から館へと運ばれていった。

 領主の館は倒壊などの被害はなく、負傷者も僅かだった。
 普段、自室にこもっているシャンティア・グティスマーレが、エントランスに出てそわそわと火山に向かった者たちを介抱する準備を整え待っていた。
 彼女は真っ先に運び込まれた人のもとに駆け付けた……が、スルーして。
「お帰りなさい、ミーザ、アーリー」
 次の馬車で戻ってきたミーザとアーリーに飛びつくように近づいて、疲弊していた彼女達に用意してあった栄養剤を渡し、水の魔法で火傷の処置を施す。
「ただいま、って言えばいいのかしら」
 疲れ切った顔で言うアーリーに、シャンティアは用意しておいた毛布をかけた。可愛いふわふわの毛布だ。
「……やめて、ほしいんだけど……でも……ありが、とう」
 アーリーは冷え切った体を、毛布にくるまって温めた。
「休めるお部屋も、用意してありますから。元気になって、ください」
 引きこもりで自分のことばかり考えてきた彼女は、親しみを感じるようになったこの2人以外の人のことなど考えてはいなかったけれど、彼女が備えとして学んだ水の魔法による火傷の処置法や、ガス中毒の魔法による処置法などの治療法は、この場に集まった貴族の協力者たちにも知らされていた。
 それにより医療に携わる者は少なかったが、火山に向かった者たち全員に出来得る限りの治療が迅速に行われていった。

 神殿では、医療班は水の障壁維持に携わった魔術師たちの介抱に当たっており、内密にされていた生命力提供側に医師は回ってこなかった。
 ただ、サーナの親族の使用人たちが生命力提供に加わらなかったことと、薬の知識のあるリベルにより適切な処置が行われたため、命を落とすものはいなかった。
「……飲んでも、よさそうですね」
 マーガレットはラトヴィッジに分けてもらった体力回復薬を飲んで、ほっと息をついた。
 鉛のように重かった体が、随分と楽になった。ぼやけていた意識もはっきりとしてきた。
 側では、半分しか薬を飲まなかったラトヴィッジがサーナの介抱を受けており「膝枕、ここでする?」などと、サーナが彼に声をかけている。
「まったく。こんな時に、何を」
 2人の姿に、思わず苦笑してしまう。
 それから、マーガレットの紹介で訪れたヴォルク。
 彼はナイトの腕の中で、疲れて眠っていた。
「本当によくやってくれました」
 イリスとリックは救護室に運び込まれ、治療を受けているとのことだった。
 死力を尽くした。そして誰も命を落とさなかった。
「そちらも、きっと……」
 マーガレットはバートを想う。大切な友たちのことも。
 心から無事を願っていた。
 聖石が戻されたことで、水の障壁は辛うじて守られた。
 地震が治まると同時に、火山の方向から水の障壁に押し寄せていたエネルギーは、上部へと。水面に向けて放出されたようだと、神殿長のナディア・タスカや魔術師たちは感じ取っていた。

「寒いと思ったら雪が……って雪!?」
 必死に町を駆けまわり、救助と怪我人の手当てに当たっていたトモシは舞い落ちる白い塊の存在に気付き、空を見上げた。
 いつの間にか地震は治まっており、魔力の影響と思われた奇妙な現象もなくなっていた。
「ああそうか、多分そういうことだね」
 水の魔術師の誰かが、荒ぶる魔力を鎮めてくれたのだと気付き、トモシの口から「ありがとう」と、感謝の言葉が流れ出た。
 きっともう、火も普通に使えるはずだ。
「みんな、もう火を焚いて大丈夫だよ。動ける人は、困っている人を助けに行こう!」
 そう呼びかけて、トモシは救助活動を続ける。多くの町の人が、彼についていた。
 トモシ達の迅速な行動により、その後も混乱は少なく、負傷者は少なくなかったが死者はほんの僅かだった。


第3章 エピローグ

 火の魔力を鎮めるために、火山に向かってから数週間の時が流れた。
 箱船出航が近づいたある日。
 メイドのミーザ・ルマンダはロスティン・マイカンと共に、シャンティア・グティスマーレの部屋に訪れていた。
「今日は彼……ロスティンさんがどうしてもお嬢様にお礼が言いたいというので、一緒に来てもらいました」
「こんにちはー。火山の時はありがとう。それと、ミーザちゃんが箱船に乗れるよう、根回しをしてくれたって聞いてさ、どうしてもお礼が言いたくなったんだ」
 ロスティンとミーザは現在交際をしている。ロスティンはミーザと結婚をする意思があったが、まだ婚約には至っていなかった。
「わたくしが生活するのに、必要ですから、お願いしただけ、です……」
 ミーザとアーリー以外とはまだ話すことに慣れておらず、シャンティアはたどたどしく答えた。
 ミーザ達が火山から戻ってきてすぐ、シャンティアはメイドである彼女がいなければ、着替えや会話もままならないことを、両親を通して伯爵に伝え、ミーザを侍女として連れて行くことを願ったのだ。
 しかし箱船は既に定員に達しており、追加の乗船許可は出せないとシャンティアは何度も断られた。
 同じようにロスティンも自分の伴侶としてミーザを連れてはいけないかと願い出ていたが、こちらも却下されてしまっていた。
 ロスティンはミーザが乗れないのなら、自分も次の機会に……とも思ったが、シャンティアは粘り強く切実に交渉を続けた結果『辞退者が出て空きが出来たため、ミーザ・ルマンダの乗船を許可をする』と、先日ようやく良い返事を受け取ることができていた。
 シャンティアはすぐにミーザを呼び、
「わたくし一人では標準的な生活できません……ですので……えと……あの……あなたも箱舟に一緒に乗って助けていただけませんか……?」
 乗船許可を貰った旨、そうミーザに話したのだった。
「これはお情けとか同情とかそう言うことではなくて……その……私的に深刻な問題で……わたくしを助けてくださいます、よね?」
 再度、シャンティアはミーザに尋ねた。ロスティンの恋人として、彼だけに仕えられては困るのだ。
「もちろんです、お嬢様。私やアニサさんが後遺症もなく、こんなに元気でいられるのは、お嬢様のお蔭ですから! お嬢様が一人前になるまで、お仕えしますよー」
「俺からもお礼を言わせてくれ、何度でも。ありがとう! 俺とウィリアムのこともシャンティアちゃんがついでに治療してくれたおかげで、絶好調で箱船に乗れるんだもんな。凄く感謝してるぞー」
 ロスティンのそんな言葉にミーザはくすりと笑みを浮かべた。そして、こう呟いた。
「過去の幸せは戻らないですけれど、私にも、未来は――希望が、あるのでしょうか」

「イリス、もう身体大丈夫?」
「全くなんともないよ、リックこそ大丈夫?」
 リック・ソリアーノとイリス・リーネルトはお互いを労わりあいながら、お手伝いをしに神殿に向かっていた。
「僕は全然平気だよ、イリスよりずっと負担軽かったし」
 魔力制御装置を使用した後、数日間イリスは寝込み、その後もしばらくの間倦怠感に襲われていたけれど、あれから数週間が経った今では、魔力も身体も完全に回復していた。
 魔力制御装置は既に返却しており、2人は日常を取り戻していた。
「それじゃ、そろそろ行こ? 約束の夜のピクニック」
「うん、箱船出航前……障壁が狭くなる前に行きたいね」
 イリスはこくりと頷いた。
「リック、一緒にいてくれてありがとう」
「僕の方こそ、ありがとう、イリス」
 人工月に照らされたこの地を、大切な人と巡りたいと。
 たくさんの思い出を残したいと、心から思う。

 エイディン・バルドバルは回復後、造船所に戻り、被害状況の確認と再建に努めていた。
 そんな中、そっと懐から手紙を取り出して、行方不明の妹弟たちを思う――。
「よぉ」
 突然、肩を叩かれエイディンは手紙を懐にしまってから振り向く。
 そこには、警備で訪れていたナイト・ゲイルの姿があった。
「もう大丈夫なのか?」
「問題ない。紹介と介抱、感謝する」
 そうエイディンはナイトに深く頭を下げた。
「よせよ。もう無茶はするなと言っても、無駄なんだろうから。また馬鹿なことをしでかした時には、力づくで止めさせてもらう。いいな」
 厳しい目でナイトがそう言うと「ああ」とエイディンは微笑した。
 自分を力づくで止められる騎士は、彼くらいだろう。
「お前は箱船に乗らないのか?」
 そうエイディンが尋ねると、ナイトは勿論と即答する。
「ここにいる人たちの生活を守らないと。
 上から目の届かない下の奴らの生活を守りたくて騎士になったからさ、当然だろう? あんたも残るんだろ、これからどうする?」
「とりあえずは、どこかで読み書きを学べないものかと考えている。学校は魔法学校だけしかないからな……」
「そうだな。まだしばらくここで過ごすんだ。学びの場が必要だよな……。俺は少し、魔法を学んでみるかも」
 ナイトとエイディンは、共に魔力がない。
 本来、魔力は誰にでも備わっているものである。大人になっても魔力がないもののうち、本当に一切ない者はごく稀であり、通常は何かのきっかけで魔力を感じられるようになる。
「あれ以来、なんか火を身近に感じるようになったんだ」
 ナイトは時折、ふと、レイザ・インダーの気配のようなものを、感じることがある。
 無論、彼は障壁内のどこにもいないのだが。
「それじゃ」
「またな」
 ナイトは巡回に、エイディンは作業に戻るために、別れる。
 箱船出航まであと一週間。
 まだ、目覚めていない者もいた。

 バート・カスタルは帰還後意識を失い、数日意識が戻らなかった。
 現在、意識は戻っているが、館の病室のベッドからいまだに自力で起き上がることが出来ない状態が続いていた。弱った状態で、多量のガスを吸い込んでおり、記憶障害も多少あるようだった。
 同じく、魔力増幅装置を使用したピア・グレイアム、連続使用をしたアウロラ・メルクリアスも同じ状態であった。2人は新たな居住区にある、病院に入院している。
 ウィリアムトゥーニャ・ルムナロスティン・マイカン、及び救助に訪れたファルは、体調不良でしばらく寝込んだものの、現在は回復している。
 未だ目を覚ましていないのは――魔力を無理に増幅し、全ての力を使い果たしたメリッサ・ガードナーだけだった。

 そして、箱船出航が間近に迫ったある日。
「……サ、メリッサ……」
 深く、もっと深く、眠っていたかった。
「メリッサ、メリッサ、メリッサ!」
 だけれど何度も、何度も自分を呼ぶ声に、メリッサは仕方なく目を開けた。
 随分と長い間、名前を呼ばれていた気がする……。
「ヴォルクくん」
 傍らに座っている少年の名前を呼ぶ。
「メリッサ……ッ」
 明るくて元気いっぱいな彼が、とても心配そうな目で自分を見ていた。
「あれ? 私どうしたんだろ……あーっ、体が痛くて動けないー。なんか頭もガンガンする。ううっ、魔法で治せない」
 ううーんとメリッサはうめき声を上げた。
「メリッサ……覚えて、ない?」
「うん、何か怪我したみたい?」
 メリッサは不思議そうにヴォルクに尋ねる。
 ヴォルクは何かを言いかけたが言葉を詰まらせ、メリッサの問いに答えてはくれなかった。
「私、どれくらい寝てた?」
「……1カ月くらい」
「そんなに!? そういえばさ、マテオ・テーペはまだ立入禁止なの? 早く元気になって登りたいなー!」
 元気のないヴォルクを励まそうと、メリッサは明るくそう言った。
 そして……。
「ん?」
 メリッサは自分の手の中に、何かがあることに気付いた。
 固く固く握りしめていた手を開くと、手の中には指輪が一つ在った。
「指輪、なんだろう、拾ったのかな。それにしても、綺麗な石」
 メリッサはじっと、石を眺める。何故か心がとても惹かれた……。
「ほんと、吸い込まれそうな綺麗な、赤」
 目を細めてそう言うメリッサの上に、ヴォルクは突っ伏した。
 唇を噛み、体を振るわせて……それでも、声を上げずに、布団を強く握りしめて、ヴォルクは泣いていた。
「ヴォルクくん……ごめんね、とっても心配かけちゃったね」
 メリッサは彼の小さな体に手を回して、抱きしめて。もう一つの手で、彼の頭を撫でた。
「大好きだよ」
 大好きな姉の声が、姉の声だけが脳裏に響き渡り、ヴォルクの口から嗚咽が漏れた。
 もう一つ、聞きたい声、怒りの声は聞こえない。
 姉の頭の中にも存在しない――。

 

*  *  *


 サーナ・シフレアンは身分を明かすことが許され、神殿で働くことになった。
 障壁内に残った水の魔術師たちと共に、障壁維持に携わっている。
 そして彼女の希望で、ラトヴィッジ・オールウィンは彼女直属の親衛隊員となった。
 箱船出航が迫ったある夜のこと――。

 

イラスト:雪代ゆゆ
イラスト:雪代ゆゆ

 部屋のバルコニーで月を眺めていた彼女の肩に、ラトヴィッジは腕を回した。
「君を愛してる」
 サーナが間近にあるラトヴィッジの顔を見上げる。
「サーナと一緒にずっと歩いていきたい。誰より近くで君の笑顔を見ていたい」
 身分等、障害はいくつもあるだろうけれど……。
 真剣な想いを、愛おしげに彼女を見詰めながら、ラトヴィッジは伝える。
「俺と一緒になってくれますか?」
「……はい……」
 2人は互いを求めて手を伸ばし、抱きしめ合った。
「ラト、大好き。あなたがいるから、私は生きている。ずっと、傍にいてください」
「ずっと傍にいるよ、サーナ」
 淡い人工月の光が、そっと、優しく2人を祝福していた。

 ウィリアムと、アーリー・オサードは功績が認められ釈放されたのだが、箱船出航までの間、これまで通り領主の館の施設で一緒に過ごしていた。
 ウィリアムはアーリーを案じ、なるべく傍にいた。
「あの男、嫌いだったけれど……境遇には同情していたわ。特別な力を持っているが故に、人を好きにはなれない。相手も、子供も幸せになんてできない、不幸にしてしまう。
 彼は、私以上にそうだった。そんな彼に、全て押し付けちゃったのよね」
 アーリーはウィリアムに切なげに微笑みかけた。
「彼はきっと生きている。彼の死を確信するまでは……私、馬鹿な事考えないから大丈夫よ」
 ありがとう、と。
 アーリーは目を伏せて、涙をこらえた。

 レイザ・インダーは火山の鎮めに携わることを、関係者以外に自ら知らせはしなかった。説明会にも一度も参加していない。
 それでも、バートや作戦に加わった者から、彼が深部の作戦を指揮すること、火山に向かったことは伝えられており、噂として彼を知る人々の耳にも入っていた。
 そして、障壁内に、戻らなかったことも。

 洞窟は至る所が崩れかけており、極めて危険な状態であるため完全に封鎖され、もう誰も行き来することはできない。
 彼が障壁内に戻ってくることはない。解っているのに、彼が命を落としたとは誰も言いださない。
 墓が設けられることもなければ、英雄化されることもなく、多くの人は何も知らないまま――箱船出航の時を迎えるのだった。


 世界よりも、共に生きる人々の命を重んじた。
 聖石――ひとつの希望は残され、もうひとつの希望の炎は世界に解き放たれた。

 希望を繋ぐ、唯一の船が今、旅立とうとしている。

 

 

個別リアクション

なし

 



 担当させていただきました川岸です。
 今回は、第2章始め、町のシーンの執筆を鈴鹿マスターが担当されました。

 サイド参加者とNPCのうち、箱船に乗った方につきましてはグランドで搭乗シーンが描かれていますので、ご確認くださいませ。
 (乗組員として採用されていても、出航回である今回不参加の方につきましては辞退となります)
 生命力の提供先につきまして、アクションでのご指定とちがった方に送っているシーンがありますが、こちらは無名NPCの送り先や受け手のキャパシティを見てのマスター判断となります。

 メインシナリオ全8回、ご参加いただきまして、本当に本当にありがとうございました。
 グランドにご参加の方、参加はしていないけれど、読んでくださっている方もありがとうございます。
 こちらで、マテオ・テーペ本編のお話は完結となります。
 この後のご自身のPCの状態につきましては、リアクション内で描かれている状態に沿うかたちで、PLさんの方で決めてくださいませ。

 マテオ・テーペ舞台の状態としては、想定よりとても良いと私は思います。
 グランド、サイド共通の裏話となりますが、当初私が原案を書いた段階ではですね『オープニングストーリーで町は全部沈む』となっているのですよ……。
 町の人々は、魔法学校の寮とか、家畜小屋、洞窟、木の洞などに移り住んで、皆必死に生を繋いでいるという過酷な状況をイメージしていまして。
 内乱もあり、人口は徐々に減っていくものと考えていましたが、そうならなかったのは、プレイヤーの皆様の御心と、冷泉マスター、PCたちの想いと行動の結果によるものです。
 希望を繋いでくださり、ありがとうございました。

 サイドにつきましては、大きく想定外だったのは『ミーザ関連』と『メールフォーム非公開の方が多かった』点かなと思います。
 犯罪者が収容されている施設の大掃除の回がありましたが、その時、王国の敵対国のスパイであるミーザが色々情報を掴んでいき、PC達が巻き込まれていき、後半のストーリーに繋げる予定だったのですが、メイドPCがおらず……色々手を尽くしましたが、ガイドで無理やり情報を出さざるを得ない感じになり、最後はかなり悩みましたが(正直今も……)彼女が正体を明かさなければならない状況となりませんでしたので、自ら語ることはなく終わっています。
 メールフォームの非公開については、多分交流拒否以外の方でも軽い気持ちで非公開を選んでいる方がいたのではと思います。
 悪役なら解るのですが、そうではない場合、局面で連絡が取れない、参加しないかもしれない、となりますと、自分だけではなく他の参加者さんも悲しませる展開になり得るので、重要なポジションについてしまうと困る(ご本人も望んでないのかな)ことになります。
 サイドでは舞台として、『子供達が探索した洞窟』『洞窟温泉』『廃坑』等の洞窟を扱っており、この3つ、全て繋がっていて、子供達は大変な状況に陥る……という展開を予定していましたが、関わっている方が全員非公開だと、情報は表に出ず、連携もとれなくて助からないよな……ということで、回避な方向になってしまいました。

 この辺りは初期のシステム的な問題や、募集時の私のミスであり、その為に楽しみきれなかった方には、大変申し訳なく思います。

 PCのアクションによる想定外で大きかったのは『館の囚人全員脱走』でした。
 『滅びを望む者たち』というタイトルだったのに、メインが『滅びを望まない者たち』のお話になっていた気がします……!
 そして前篇のお話が『騎士団側の完勝』に終わっているということ。

 あとは、バート・カスタル。彼は当初の予定では大した役割がなく、グランドでちょこちょこ描かれる程度の登場を予定していました。
 PC主導で話を進めていただきたく、彼を表舞台から退かせようと私が努力している形跡があちこちで見られるかと思います……。

 さて、この後ですが、既に参加者募集中のイラスト、日常シナリオの他に、おまけのファイナルシナリオ(仮タイトル)を行う予定です。是非ご参加ください!
 こちらはご負担の少ない500円シナリオとなりますため、じっくりとした描写を望まれる方は日常シナリオに(も)ご参加くださいませ。
 メインシナリオでは描き切れていない部分もあるので、ホント是非ご参加をー!

 サイドは負担も大きく、大変苦労をされた方も少なくはないと思います。
 最後まで力になってくださり、とても感謝しております。
 最後に助けに来てくださった方も、ありがとうございました!

 よろしければあともう少し、お付き合いいただけましたら嬉しいです。